ドイツの工業力が生んだ「狂気」の自動車デザイン ゲルマン魂が光る奇妙なクルマ 30選 後編

公開 : 2024.09.07 18:25

BMW E1(1991年)

サイズは現代のフィアット500とほぼ同じだが、フォルムとスタイリングはアウディA2に近い。BMWは1972年からEVゲームに参加しており、E1は250kmの航続距離を武器に1990年代初頭の競争相手を蹴散らしたかもしれない。同車をデザインしたのはマーク・D・クラーク。以前はBMW Z1の開発に携わり、最終的にはポルシェに移ってアシスタント・チーフ・デザイナーとしてカレラGTや987ケイマンのスタイリングに意見を述べた。

最初のE1コンセプトは充電中の火災で焼失し、第2世代のコンセプトが引き継がれた。量産化されることはなかったが、1993年の3シリーズ・コンパクトに影響を与えた。

BMW E1(1991年)
BMW E1(1991年)

ヴィーズマンMF30(1993年)

マーティンとフリートヘルムのヴィーズマン兄弟は、1985年のエッセン・モーターショーに参加した後、自分たちでスポーツカーをデザインすることを決めた。ドイツの技術に裏打ちされた、英国のスポーツカーの外観を持つクルマに仕上げようとした。道路に張り付くようなクルマであることから、会社のロゴデザインはヤモリに決まった。

1993年にはMF30が登場し、その形状は長年にわたってヴィーズマン(Wiesmann)のアイデンティティを確固たるものにしていった。やがてMF30の後継としてMF3が登場し、MF4、MF5と続いた。スパイダー仕様のコンセプトが予告されたが、これが最後となった。同社は2014年に閉鎖され、英国を拠点とする投資家によって買収された。2022年、電動スポーツカー市場への参入を発表している。

ヴィーズマンMF30(1993年)
ヴィーズマンMF30(1993年)

ポルシェC88(1994年)

ポルシェが911(993型)ターボSのような高性能スポーツカーを作っていた頃、中国市場への参入も目指していた。これは、中国政府による新型プロトタイプの募集に応えたものだった。中国からエンジニアとデザイナーを集め、手頃な価格で、シンプルで、広くて快適なクルマを作るというコンセプトだった。

ポルシェとして販売するつもりはなかったため、C88にポルシェの紋章はない。中国政府はクライスラーフィアット三菱オペルフォードメルセデス・ベンツにも参加を呼びかけたが、勝者は決まらなかった。おそらく、政府はデザイン案を無償で受け取り、他の中国車に応用したのだろう。

ポルシェC88(1994年)
ポルシェC88(1994年)

BMW Z18(1995年)

BMW初のSUVは何かと尋ねると、多くの人がX5と答えるだろうが、実はZ18だった。1980年代に研究開発部門によって設計され、初代Z3の発売と同時期に作られた。

ルーフは装備されなかったが、防水機能付きのシートと分厚いゴム製フロアマットを装着し、モジュール式の内装によってピックアップトラックにも4人乗りにも変身した。大量生産する意図はなかったが、BMWが新たな分野への需要を測るのに役立った。

BMW Z18(1995年)
BMW Z18(1995年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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