こんなのあったの? 知る人ぞ知る「スーパーカー」 ひっそりと “消えた” 珍車 50選 後編

公開 : 2024.09.21 18:25

誰もが一度は憧れるであろうスーパーカー。しかし、この世には「ほとんどの人が知らない」無名のスーパーカーが何十台とある。ここでは忘れられた珍車・迷車を50台紹介する。

ヒメネス・ノヴィア(1995年)

(翻訳者注:この記事は『こんなのあったの? 知る人ぞ知る「スーパーカー」 ひっそりと “消えた” 珍車 50選』の後編にあたります。前後編合わせてお楽しみください)

ヒメネス・ノヴィア(Jimenez Novia)は、非常に複雑なエンジンレイアウトを採用している。ヤマハ製の1.0L 4気筒エンジン(FZR1000のバイク用エンジン)を4基使用し、シリンダーをW型に配列して共通のクランクシャフトに収め、最高出力558psを発生させるというものだ。

ヒメネス・ノヴィア(1995年)
ヒメネス・ノヴィア(1995年)

排気量は4.0Lで、5バルブのシリンダーヘッドにより最高速度350km/hを達成できるという。少し調整すれば600ps以上の出力も可能だったが、市販化には至らず、同じW16エンジンを搭載したオフロード車の計画はコンセプト段階にすら至らなかった。

ローテックC1000(1995年)

1990年代初頭、数多くのスーパーカーが登場する中、ある石油王は唯一無二のものを所有しなければならないと考え、メルセデス・ベンツにワンオフのハイパーカーの製作を依頼した。

メルセデス・ベンツは、スーパーカーを得意とするローテック社に、石油王の要求に見合った速いクルマを作るよう依頼し、その結果生まれたのがC1000である。メルセデスの5.6L V8ツインターボエンジンを搭載し、最高出力1000ps(車名の由来)を発生する。

ローテックC1000(1995年)
ローテックC1000(1995年)

最高速度は430km/hと言われているが、実測値ではない。しかし、レーシングカー仕様のシャシーとカーボンファイバー製ボディを備え、名前が示す以上にハイテクなマシンとなっている。

スペクターR42(1995年)

GTディベロップメント社は、フォードGT40の精巧な再現で知られており、 R42を披露したときも高い評価を得た。しかし、走行可能なプロトタイプを1台作っただけで同社は倒産し、その権利は米国のスペクター社に売却された。

4.6LのクアッドカムV8を搭載し、細部の詰めは甘かったものの、スーパーカーらしい堂々とした外観を誇る。スペクター社は年間200台の生産目標を掲げていたが、実際には23台にとどまり、結局倒産してしまった。

スペクターR42(1995年)
スペクターR42(1995年)

TVRサーブラウ・スピード12(1996年)

1996年のバーミンガム・モーターショーで初公開されたサーブラウ・スピード12(Cerbera Speed 12)は、最高出力890ps の7.7L V12エンジンを搭載し、世界最速を目指していた。当初はGT1向けのレーシングカー、プロジェクト 7/12として構想され、1998年にロードカー仕様のスピード12が登場した。

しかし、レースのレギュレーション変更を受け、TVRはスピード12は公道では速すぎると判断した。車重1000kgと軽量で、適切なセッティングさえ施せば最高速度380km/h以上も可能だったはずだが、アマチュアドライバーに売るのは不適切とみなされ、棚上げとなった。

TVRサーブラウ・スピード12(1996年)
TVRサーブラウ・スピード12(1996年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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