こんなのあったの? 知る人ぞ知る「スーパーカー」 ひっそりと “消えた” 珍車 50選 前編

公開 : 2024.09.21 18:05  更新 : 2024.09.22 16:22

童夢・零(1978年)

1978年のジュネーブ・モーターショーで「童夢・零(ドウム・ゼロ)」が公開されたとき、日本のメーカーがどうしてこんな奇抜なものを作れるのかと、誰もが息をのんだ。

カウンタックよりもクレイジーな零は、残念ながら日本でのホモロゲーションテストを受ける余裕がなかった。2.8L直列6気筒の最高出力は145ps程度とされているが、何と言ってもそのルックスが素晴らしい。

童夢・零(1978年)
童夢・零(1978年)

アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)

アストン マーティンがブルドッグを発表した当初は、最大25台生産するという話があった。電動ガルウィングドア、最高出力700psのV8ツインターボ(ミドシップ)、そしてありえないほどドラマチックなデザイン(ウィリアム・タウンズの設計)を備えたブルドッグなら、あっという間に完売しただろう。そして何より、最高速度320km/hという性能が実証されれば、当時としては世界最速の市販車になるはずだった。

しかし、開発作業がすべて完了したあと、アストン マーティンの親会社が変わり、作るべきクルマではないと見なされた。そのため1台しか製作されなかったが、しっかりと現存しており、英国の自動車イベントに時々登場している。

アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)
アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)

ウルフレース・ソニック(1981年)

ウルフレース・ソニック(Wolfrace Sonic)はワンオフ車なので、この記事の趣旨とは少しズレてしまうが、派手な宣伝用マシンとして製作され、今ではすっかり忘れ去られているため、ここで紹介することにした。

ウルフレース・ホイール社の初代オーナーであるバリー・トレーシーの依頼を受け、ニック・バトラーがデザインを担当し、2基のローバー製V8エンジンを搭載した2シーターの六輪車である。

ウルフレース・ソニック(1981年)
ウルフレース・ソニック(1981年)

10万ポンドをかけて製作され、ウルフレース社に大きな宣伝効果をもたらしたが、その後姿を消した。しかし、2015年にスクラップに近い状態でオークションサイトのeBayに登場し、1万8100ポンド(現在の為替相場で約350万円)で落札された。

コディアックF1(1983年)

1983年、セルビア人のムラデン・ミトロヴィッチがフランクフルト・モーターショーでスーパーカーを発表した。最高出力320psのシボレー製5.4L V8を搭載したコディアックF1(Kodiak F1)は、どの国のどんなクルマにも負けないと謳われた。

ガルウイングを持つメルセデス・ベンツC-111にインスパイアされたデザインで、1日中270km/hの速度で走ることができ、絶対的な信頼性があるとされていた。後の改良型にはメルセデスの5.6L V8が搭載されるはずだったが、こちらは実現しなかった。

コディアックF1(1983年)
コディアックF1(1983年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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