こんなのあったの? 知る人ぞ知る「スーパーカー」 ひっそりと “消えた” 珍車 50選 前編

公開 : 2024.09.21 18:05  更新 : 2024.09.22 16:22

ジャガーXJR-15(1990年)

不運なXJ220の開発に着手したのとほぼ同時期に、ジャガーはもう1台のスーパーカー、XJR-15も開発していた。XJ220には当初V12エンジンが搭載される予定だったが、代わりにV6ツインターボが採用された。一方、XJR-15は最高出力450ps のV12を獲得し、最高速度307km/hを実現した。

XJR-15は「ジャガー・スポーツ・インターコンチネンタル・チャレンジ」と呼ばれるワンメイクレースのために、50台のみが生産された。ロードカー仕様も生産され、そのうちの数台は現存している。2004年、ジャガー・スポーツがAJ-V8エンジンによってXJR-15を復活させる計画をちらつかせたが、このプロジェクトは始動すらしなかった。

ジャガーXJR-15(1990年)
ジャガーXJR-15(1990年)

マセラティ・チュバスコ(1990年)

1990年12月に発表されたチュバスコ(Chubasco)は、「これがマセラティの新しい顔になる」と謳われていた。堅実なビトゥルボの後に現れたミドシップのチュバスコは、刺激的なクルマとして大いに期待された。

シャマルの3.2L V8ツインターボを縦置きに搭載し、最高出力435psを発生する。マセラティは、F1並みのグリップと性能を声高に主張し、年間150台、計450台以上を生産すると見積もっていた。結局、プロジェクトはわずか半年後に中止となり、走行不能なモックアップが作られただけで、1台も生産されなかった。

マセラティ・チュバスコ(1990年)
マセラティ・チュバスコ(1990年)

タトラMTX-4 RS(1990年)

世界経済が破綻する直前の1990年12月に初公開されたタトラMTX-4 RSは、チェコスロバキア初のスーパーカーを目指していた。リアエンジンのセダンで知られるタトラは、鉄のカーテンの崩壊後、新たな道を探り、年間100台以下の少量生産車を世に送り出そうとした。

デザインはベルトーネが担当し、パワートレインはそれまでのセダンと同じ空冷4.0L V8エンジンを使用。最高出力は218psと208psの2種類があり、後者は電子制御式燃料噴射装置を採用し、最高速度265km/hと謳われた。その後、不況に見舞われてしまい……。

タトラMTX-4 RS(1990年)
タトラMTX-4 RS(1990年)

ビター・タスコ(1991年)

元レーシングドライバーであるエーリッヒ・ビッターの立ち上げたビッター社は、SCに代表されるオペル車ベースのモデルで知られているが、時折、タスコ(Tasco)のような奇抜なものも作った。MGAディベロップメンツ社との共同開発によるもので、1991年のフランクフルト・モーターショーで発表された。

V8またはV12を搭載するように設計されていたが、実物大モックアップの段階から進展することはなかった。

ビター・タスコ(1991年)
ビター・タスコ(1991年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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