違いは「ツイン」テールライト フェラーリ250 GT ルッソ 娘が継いだプロトタイプ(2)

公開 : 2024.09.22 17:46

世界中から部品を取り寄せレストア

スティーブンへ向けて綴られた手紙にも、この事実は記されていた。フランスで短期間デモ車両として使用された後、パリ東部の農家、ギイ・ドメ氏へ売却されたと。

その後、複数のオーナーを経て、フランス中部のマンカ・ドリーナ氏が購入。フロントマスクに改造を加え、ピンク色に塗装し、1973年5月まで所有した。その後のオーナーはアメリカ人だったが、オランダ(ネザーランド)で保管していたらしい。

フェラーリ250 GT ルッソ(プロトタイプ/1962年式)
フェラーリ250 GT ルッソ(プロトタイプ/1962年式)

さらに、カリフォルニア州のフェラーリ・マニアへ転売。復活を考えていたが放置され、スティーブンが購入を決めた。当然のように彼は、歴史的な1台を復活させるため、レストアをスタートさせた。

オリジナルのエンジンブロックは残っていたものの、キャブレターやシリンダーヘッドは失われていた。リアアクスルやホイール、内装なども残っていなかった。トランスミッションは、別の250 GT ルッソ用のユニットだった。

いくつもの困難を乗り越え作業を続け、プロトタイプの1台は往年の輝きを取り戻した。形を変えていたボディのフロント部分は、正しい姿へ復元。V12エンジンはネザーランドのロェロフス・エンジニアリング社によってリビルドを受けた。

リアアクスルは、250 GTEのものを利用。それ以外も、スティーブンは自身が所有していたコレクション・アイテムの他、世界中から部品を取り寄せたそうだ。

60年以上が経過しても注目度は変わらず

作業はプーレから情報を得つつ進められたが、ダッシュボードだけは間違っていた。タコとスピードのメーターが運転席の正面に並ぶ、ショートホイールベース仕様が載っていたと彼は考えていた。だが当時の写真には、量産仕様と同じものが写っている。

レストアは2016年に完了。ところが、その頃からスティーブンは体調を崩してしまう。そこで、娘のスージーがシャシー番号4053GTの個体を受け継ぐことになった。

フェラーリ250 GT ルッソ(プロトタイプ/1962年式)
フェラーリ250 GT ルッソ(プロトタイプ/1962年式)

貴重な250 GT ルッソは、グレートブリテン島南部のティム・ダットンで開かれたクラシックカー・イベント、2024年レトロモビルへ出展。その後、フランスのパリ・エクスポ・ポルト・ド・ヴェルサイユでも展示され、90万人近い来場者の目を楽しませた。

発表から60年以上が経過しても、注目度の高さは変わらなかったようだ。スージーはスティーブンの娘として、多くのフェラーリ・マニアとの交流を深めることができたと振り返る。特別なクーペは、次の世代へ盤石に受け継がれたといえるだろう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジェームズ・ページ

    James Page

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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