生産台数「わずか13台」 マセラティすら望まなかった “残念すぎる” クアトロポルテ 歴史アーカイブ

公開 : 2024.09.06 18:05

受注生産でわずか13台

イタリア政府とモデナの同業デ・トマソが救いの手を差し伸べ、1976年、クアトロポルテはひっそりと生産を開始した。アレハンドロ・デ・トマソ氏自身がAUTOCARに「重すぎるし、エンジンは小さすぎるし、サスペンションは整備上の問題を引き起こす」と語っていたにもかかわらずだ。

彼は取材に応じた時点で、新しい4.0L V8搭載バージョンの計画を中止していた。実際、新型の第3世代クアトロポルテの計画がすでに進行中で、イタルデザインによるコンセプトがその年のパリ・モーターショーで発表されていた。

第2世代マセラティ・クアトロポルテ
第2世代マセラティ・クアトロポルテ

第2世代は欧州経済共同体(EEC:現EUの前身)で販売するための型式認証を取得しておらず、デ・トマソに多額の費用をかけるつもりがなかったのは明らかだ。代わりに中東、南米、スペインからの注文に応じて生産していた。

当面の優先課題は、実績のあるボーラ、メラク、クーペのカムシンと、デ・トマソ車ベースの新型キャラミであり、同年の生産台数は600台に達する見通しだった。

当然のことながら、AUTOCARは第2世代クアトロポルテに試乗する機会に恵まれず、その実力を知ることはできていない。実際、このクルマについての試乗レビューはどこにも見当たらない。ベルギー、フランス、ドイツに現存する一握りの車両が知られているが、それさえも見つけるのは困難だ……。

記事に関わった人々

  • 執筆

    クリス・カルマー

    Kris Culmer

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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