【伝説のV12物語】 ランボルギーニ・カウンタックLP400からアニバーサリーまで その歴史を振り返る

公開 : 2024.09.09 07:05

カウンタックの生産台数は16年間で1999台、ディアブロは11年間で2903台、ムルシエラゴは9年間で4000台、アヴェンタドールは11年間で1万1000台超。伝説化されたランボルギーニ・カウンタックを振り返ります。

ランボルギーニに革命をもたらした伝説のV12の物語

サンタアガタ・ボロネーゼのランボルギーニ工場でカウンタックの量産が始まったのは1974年3月のことであり、このモデルは伝説となり、16年間も市場に出回った。

カウンタックは、ランボルギーニにとって初の「自社製」ボディワークであり、手作業でパネルを打ち抜き、ランボルギーニの車内装飾部門がインテリアを制作した最初のモデルで、これはまさに革命的な出来事として、以来50年間、サンタアガタ・ボロネーゼの伝統となったと彼らはいう。

ランボルギーニ・カウンタック生誕50周年。
ランボルギーニ・カウンタック生誕50周年。

50周年を記念した今年、ランボルギーニは初代カウンタックであるLP400を、当時の生産ライン、今日のランボルギーニ・レヴエルト生産ラインに戻し、過去と現在を結ぶ様々な写真撮影を実施した。また、カウンタック・ラインのアーカイブから、選りすぐりの特別な写真を公開している。

ランボルギーニ・チーフ・マニュファクチャリング・オフィサー ラニエリ・ニッコリ

「カウンタックが誕生した場所で、今もスーパースポーツカーモデルを生産していることを誇りに思います。それ以来、生産スタイルは劇的に変化し、当時のカウンタックから今日のモデルに至るまで、多くの面で著しい変革がありました。

今日の生産スタイルは1974年とは大きく異なりますが、最良の面はそのまま残し、オペレーターの手作業による技術と利用可能な最高のテクノロジーを結集し、いわゆるマニファッツュラ・ランボルギーニ・ネクストレベルを生み出しています。当時のカウンタックと今日のランボルギーニの生産面での共通点は、細部へのこだわりです」と述べた。

カウンタックの進化

ランボルギーニ・カウンタックは、1971年3月11日のジュネーブモーターショーでアイデアカーとして発表されるやいなや、すぐに成功を収めたため、量産化の決定は容易であったという。

数台のプロトタイプと、3年に及ぶ技術開発や厳しい路上テストを経て、市販モデルであるカウンタックLP400が完成。この車の開発が進む一方、サンタアガタ・ボロネーゼでは、カウンタックの生産ラインの整備が進められた。

ランボルギーニ・カウンタック生誕50周年。
ランボルギーニ・カウンタック生誕50周年。

カウンタックが革命的であったのは、ランボルギーニの歴史上初めて、ボディワークを内製化したことだ。それまで、ランボルギーニの車両は2か所を拠点に生産しており、メカニカルパーツはランボルギーニが生産し、ボディワークは外部のコーチビルダーが制作した後、サンタガタ・ボロネーゼに送られ、フレームとメカニカルパーツを組み合わせていた。

ランボルギーニ工場でのボディワーク内製化という決定は、ランボルギーニの成長に即座に大きな影響をもたらしたと語っている。

記事に関わった人々

  • AUTOCAR JAPAN

    Autocar Japan

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の日本版。

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