【600eのご先祖様】 フィアット600はどんなクルマだった? 歴代モデルを振り返り!
公開 : 2024.09.10 11:45 更新 : 2024.09.11 21:28
フィアットから登場した「600e」ですが、その車名となる600(セイチェント)は、1955年に登場し、大成功を収めた傑作車を受け継ぐものです。初代フィアット600を中心に、セイチェントの歴史を振り返ります。
初代フィアット600は革新的な小型車
フィアットの電気自動車(BEV)に600eが加わった。先に登場した500eに続くBEVの第2作目となるが、注目したいのはその車名だ。
フィアットにとって小型車の礎として1955年に登場し、大成功を収めた傑作車の名がBEVに受け継がれたのである。そこで初代フィアット600はどのようなクルマだったのか? アバルト版や2代目を含めたヒストリーを振り返る。
600(イタリア語でセイチェントと読む)が登場以前のフィアットは、フロントエンジンで後輪を駆動するオーソドックスなクルマ造りだった。こうした中でチーフエンジニアのダンテ・ジアコーザは、1936年に登場したフロントエンジンのフィアット500トッポリーノの後継モデルとして、スペース効率に優れる新たな小型車の開発を進めていた。
1955年のジュネーブ・ショーで発表されたフィアット600ベルリーナ(セダン)は、コンパクトな車体ながら大人4人が乗れる室内スペースを確保し、総合性能性を突き詰めた結果、リアエンジンでモノコックボディ、4輪独立懸架という革新的なパッケージングが初めて採用された。
全長3215mm、全幅1380mm、全高1405mmのコンパクトなボディは、現代の軽自動車よりもひとまわり小さいが、大人4人が乗れる室内スペースを確保していた。
エンジンはOHV水冷直列4気筒で、633ccの排気量から22馬力を発揮。車重は585kgと軽量で最高速度は95km/hをマークした。フロントサスペンションは横置きリーフスプリングをロワアームとするダブルウィッシュボーン式、リアはキャンバー変化の少ないセミトレーリング式を採用し、優れた走行安定性を備えていた。
1960年に排気量を767ccに拡大して29馬力に向上、最高速度110km/hをマークするフィアット600Dに進化する。1964年に前開きだったドアは一般的な前ヒンジ式に変わる。
イタリア庶民のニーズにマッチしたフィアット600は、生産が終了する1969年までに267万台余が生産され、フィアットを代表するベストセラーモデルとなった。
世界初の小型マルチピープルビークル、ムルティプラ
フィアットは600ベルリーナに続いて、ファミリアーレ(ステーションワゴン)の600ムルティプラを用意。1956年のブリュッセル・ショーで発表され、世界初の小型マルチピープルビークルとして注目を集めた。
2列シート4/5人乗りと、3列シート6人乗りの2タイプが用意された。2列目シートはフロア部分に格納でき、フラットな荷室を実現。最大積載量は350kgを確保していた。
ルーフをフロントまで延長した愛らしいデザインの4ドアワンボックスタイルで、広い室内スペースを獲得。ベルリーナ比で全長は320mm長い3535mmとなり、全幅は70mm広い1450mm、全高は室内スペースを確保するため 175mm高い1580mmとされ、ホイールベースは2000mmで変わらない。
パワートレインは600ベルリーナと共用で、633ccの排気量から22馬力を発揮した。車両重量は大型化したボディのため700kgと重くなり、最高速度は90km/hに留まる。
600ムルティプラの価格は4/5人乗りが73万リラ(当時の為替レートで約42万5000円)、6人乗りが74.5万リラで、600ベルリーナは59.5万リラだった。こうして600ムルティプラは好評を持って受け入れられ、イタリアではタクシーとしても使用されるほどだった。
1960年になると排気量を767ccに拡大し29馬力にパワーアップした600Dムルティプラに進化。そのまま1969年まで生産され、約24万台が送り出された。