【600eのご先祖様】 フィアット600はどんなクルマだった? 歴代モデルを振り返り!
公開 : 2024.09.10 11:45 更新 : 2024.09.11 21:28
アバルトとフィアット600
アバルト社創始者のカルロ・アバルトは、フィアット600が備える潜在的なポテンシャルの高さを見抜き、すぐさまチューニングキットを開発する。まず「アバルト750デリヴァツィオーネ」と名付けられた600ベルリーナ用のフルキットを1956年に発売する。
その内容はアバルトがレースで培った技術が投入され、排気量を747ccに拡大し、鍛造製クランクシャフト、カムシャフト、ピストン、バルブ、バルブスプリングからオイルサンプまで新たに作られた。
専用のマニフォールドにウェーバー32IMPEキャブレターと、新設計のエグゾーストシステムを組み、フィアット600の2倍近い42馬力を発揮し、最高速度は130km/hに達した。発売されると大きな人気を集め、アバルトの名を知らしめた。
続いてアバルト初の量産2座GTとなる750GTザガートが1956年に登場する。
フィアット600の鋼板プレスフレームとサスペンション、750デリヴァツィオーネのパワートレインを基に、カロッツェリア・ザガートが軽量なアルミ製ボディを架装。ヘッドスペースを確保するためルーフを膨らませたためダブルバブルと呼ばれた。
750GTザガートのパフォーマンスを見抜いたコンペティター達はすぐさま参戦を開始し、デビュー直後に開かれた1956年のミッレ・ミリアではGT750ccクラスで2位を獲得。1957年のミッレ・ミリアではGT750ccクラスの1位から12位までを占めるなど、数多くの勝利を重ねレースの世界でもアバルトの名を確立させた。
以来フィアット600をベースとする850TCから、1000TC、究極のツーリングカーである1000TCRへと進化する。GTモデルは、ビアルベーロ(DOHC)エンジンを搭載するレコルトモンツァから1000ビアルベーロへと発展し、小排気量クラスの王者として君臨した。
新たな時代のセイチェント
1990年代にフィアットのAセグメントを担当したのが前輪駆動のチンクエチェントだった。その後継モデルとして1998年に登場したのが、2代目となるセイチェントである。初代と異なり、600を意味するイタリア語の「セイチェント」が車名とされた。
初代600の誕生から50周年となる2005年には、車名は初代をリスペクトして数字で表現する「600」に変更されている。
ボディはチンクエチェントと同様に3ドアハッチバックで、OHV直列4気筒899cc/39馬力、あるいはSOHC直列4気筒1108cc/54馬力のエンジンがフロントに搭載され前輪を駆動する。
ボディサイズは全長3337mm、全幅1508mm、全高1420mmとチンクエチェントより僅かに大きくなり、丸みを帯びたスタイリングとなった。
バリエーションとして外装をスポーティに仕立てた、スポルティング・アバルトが存在する。単なるコスメチューンモデルで、エンジンに変更はなかった。
一方で若手ラリードライバーを育成するためのチンクエチェント・トロフェオを受け継ぐ、セイチェント・トロフェオが1998年に送り出される。こちらはアバルトの血筋を受け継ぐフィアット・アウト・コルセで製作された。