911の貴重な出発点 ダイヤの原石:ポルシェ356/2(1) オーストリア生まれの「超」オリジナル

公開 : 2024.09.29 17:45

ポルシェ911の源流にある、VW由来のエンジンを載せた356/2 いい感じでヤレたワインレッドのレザー 40psから想像できないほど加速は活発 32番目に作られた貴重な1台を、英編集部がご紹介

コレクションを締めくくる究極の1台

フォードGT40やACコブラ、ポルシェ356などのオーナーは、イベントの度に本物なのか尋ねられることへ、慣れているのだろうか。もしかすると、ウンザリされていらっしゃるかも。

今日の撮影でも、「素晴らしいクルマですね! ご自身で作られたんですか?」。と通りすがりの人から質問された。もちろん、筆者はこんなに美しいクルマを仕上げることはできない。

ポルシェ356/2(1948〜1951年/欧州仕様)
ポルシェ356/2(1948〜1951年/欧州仕様)

そもそも、このポルシェ356/2は、FRPボディをフォルクスワーゲンに被せたような、レプリカとは別次元の趣きを漂わせている。英国に存在する、最古のポルシェなのだ。

製造された場所は、現在の同社が拠点とする、ドイツ・シュツットガルトではない。第二次大戦で疎開していた、オーストリア東北部のグミュント。32番目にラインオフした、超希少な356に当たる。

現在のオーナーは、英国に拠点を置くカーディーラー、DKエンジニアリング社。そのジェームズ・コッティンガム氏は、シリアスなポルシェ・マニアにとっての「ブックエンド」、コレクションを締めくくる究極の1台になるだろうと話す。

この個体は、オリジナル度が極めて高い。歴代のオーナーは、自身の他の356を仕上げる際の参考資料にしてきたとか。約40年前にボディの外側は再塗装を受けているが、車内側は約80年前のままだ。

歴史的な重要性も加味され、32番目の356/2の価値は、約270万ポンド(約5億1840万円)に達すると見込まれている。多くの部品がフォルクスワーゲンから流用されているが、その金額には驚かずにいられない。

若くから有能な技術者として頭角を現していた

ポルシェ家とポルシェ356は、フォルクスワーゲンの歴史と密接な関わりがある。オーストリア・ハンガリー帝国で1875年に生まれたフェルディナント・ポルシェ氏は、若くから有能な技術者として頭角を現していた。影響力も小さくなかった。

同帝国のエスターライヒ・エステ大公と一緒にドライブを楽しむ様子が、1902年の写真に残されている。1910年には、自ら製作したクルマでレースへ挑み始めた。

ポルシェ356/2(1948〜1951年/欧州仕様)
ポルシェ356/2(1948〜1951年/欧州仕様)

1914年になると、彼が設計した100馬力の軍用トラクター「フンデルター」をドイツ軍が採用。1920年にはダイムラー・ベンツ(現メルセデス・ベンツ)の技術部長へ就任し、SSとSSKというスポーツカーを開発した。

フェルディナントは、トーションバー・スプリングとラディアスアーム付きスイングアクスルに関する特許を取得。技術者のフリッツ・ノイマイヤー氏とともに、市民向け乗用車の設計も試みるが、プロトタイプが3台作られたところで打ち切りとなった。

この試作モデルでは、星型の水冷5気筒エンジンがシャシー後方へ載っていた。彼のリアエンジンレイアウトに対するコダワリが、その頃から表面化していたといえる。

1931年には、オートバイから事業を拡大するため、小型車の生産を模索していた現在のアウディ、NSUへ協力。フォルクスワーゲン・タイプ1(通称ビートル)の起源といえる、試作車が誕生した。ところが製造コストを理由に、廃案にされてしまう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マット・プライヤー

    Matt Prior

    英国編集部エディター・アト・ラージ
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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