ブランド最後で究極の6気筒クーペ! ブリストル406 S(1) ボディ製造施設を失った逆境

公開 : 2024.10.06 17:45

自動車の量産を目指した航空機メーカーのブリストル 裕福なカーマニアから一定の支持 特徴が色濃いスタイリングにBMW由来の技術 最後で究極の6気筒モデルを、英編集部がご紹介

本格的な量産を目指したブリストル

第二次大戦後、ブリストル・エアロプレーン社から派生し誕生した、ブリストル・カーズ。1961年以降は、ジョージ・ホワイト氏とアンソニー・クルック氏という新体制のもと、直線基調のグランドツアラーが生産された。

クライスラー社製のV8エンジンを搭載し、徐々にパワーとラグジュアリーさが高められていった。身長が180cmある大人が4名快適に乗れ、その荷物を余裕で積める、長距離旅行を想定した2ドアサルーンだった。ひと癖あるスタイリングも特徴といえた。

ブリストル406 S(プロトタイプ/1958年/英国仕様)
ブリストル406 S(プロトタイプ/1958年/英国仕様)

そんな時代のブリストル407や411は、職人による手作りで受注生産に近く、ディーラーはロンドン・ケンジントン・ハイストリートの1か所のみ。右ハンドルの英国が、主要な市場になった。

だがそれ以前、1946年から1960年にかけては、本格的な量産が目指されていた。ボディスタイルには4ドアも用意され、コンバーチブルも選択可能。ボックスセクション構造のシャシーには、ショートホイールベースも設定された。

運転の楽しさも大切な要素として開発され、必要な点検・整備を怠らなければ、普段使いにも問題なく対応できた。そのベースにあったのは、第二次大戦の戦利品といえた、戦前のBMWの技術。先進的な設計にあり、戦後にも伸びしろは充分あった。

1950年代半ばには、403と404、405という3車種をラインナップ。奇抜なスタイリングのスポーツレーサー、450 ル・マンを擁するモータースポーツ部門も存在し、ACカーズにはエンジンを販売してもいた。

裕福なカーマニアから一定の支持

とはいえ、量産のピークは1951年。1947年から1950年まで提供された、クラシカルなアルミニウム製ボディを載せた400が、初期のブリストル・カーズでは1番生産数の多いモデルといえる。それでも約700台に留まり、401と403は更に少ない。

ボックスセクションのサイドメンバーを持つシャシーは、単体で剛性が高く、様々なボディを架装できた。ファリーナやトゥーリング、ベルトーネなどのコーチビルド・ボディを載せた少量生産モデルや、1台限りのワンオフも複数提供されている。

ブリストル406 S(プロトタイプ/1958年/英国仕様)
ブリストル406 S(プロトタイプ/1958年/英国仕様)

エンジンは、プッシュロッド式の2.0L直列6気筒。高精度なトランスミッションと、正確なラック&ピニオン式ステアリング、煮詰められたリジッドアクスルが組み合わされ、裕福なカーマニアから一定の支持を集めた。

一方、1960年代が近づくにつれて、シャシーとボディが一体のモノコック構造が普及。フォードやBMC、ヴォグゾール(英国オペル)は、新世代の6気筒サルーンを安価に提供し始める。価格価値に秀でたジャガーMk VIIや2.4なども、存在感を強めていった。

ブリストルの技術者は変化を理解し、次期モデルの開発へ取り組んだ。小規模な自動車メーカーから、排気量を拡大したエンジンを積んだ、高級車メーカーへのシフトも同時に進められた。プロジェクト220では、ジャガーに対抗できる内容が必要とされた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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