ブランド最後で究極の6気筒クーペ! ブリストル406 S(1) ボディ製造施設を失った逆境

公開 : 2024.10.06 17:45

ブランドの特徴が色濃いスタイリング

この裏では、航空機事業の再編も進んでいた。1959年に、ブリストル・エアロ・エンジン社とアームストロング・シドレー・エンジン社が合併。ブリストル・シドレー社が誕生し、そこで生産される4.0L直6エンジンの採用が、ブリストル・カーズへ提案された。

ところが、そのユニットは大きく重すぎた。レスポンスも悪く、次期モデルには望ましくなかった。ジェットエンジンを発明した英国ではあったが、戦後は在庫がだぶつき、資金繰りが悪化。航空機事業は、破綻寸前の状態にあったという。

ブリストル406 S(プロトタイプ/1958年/英国仕様)
ブリストル406 S(プロトタイプ/1958年/英国仕様)

それ以前の1956年には、ブリストル・エアロプレーン社は航空機と航空機用エンジン、自動車の3部門へ分割されていた。新モデルの開発資金はほぼ存在せず、航空機部門からの後ろ盾も消滅。BMW由来の、古い6気筒エンジンを作り続ける状況が続いていた。

かくして、プロジェクト220の成果として誕生したのが、405の後を継ぎ、最後の6気筒エンジン・ブリストルとなった406だ。エンジンは2.2Lへ拡大。ダンロップ社製のディスクブレーキが前後に組まれ、サスペンションも安定性が高められていた。

上級2ドアサルーンとして、406は1958年に発表される。航空機部門の再編により、ボディの製造施設を失い、外注先を探すという困難も乗り越えて。ブランドの特徴が色濃い個性的なスタイリングは、社内デザイナーのダドリー・ホッブス氏が手掛けた。

この続きは、ブリストル406 S(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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