51歳の再チャレンジとネコ・パブリッシングのDNA【新米編集長コラム#1】

公開 : 2024.09.28 17:05

8月1日よりAUTOCAR JAPAN編集長に就任したヒライによる、新米編集長コラムです。編集部のこと、その時思ったことなどを、わりとストレートに語ります。第1回はここまでの約2ヵ月を振り返りました。

あまりに慌ただしい日々

AUTOCAR JAPAN編集長就任から、だいぶ月日が経った。

8月1日からなので2ヵ月にも満たないのに、”だいぶ”と書くのが一番しっくりくる。それだけ、就任後の日々はあまりに慌ただしく、それは今も続いている。この原稿も、某地方の空港に向かうバスの中で書き始めたほど。

ルクセンブルク出張にて、ホテルでノマド中の1枚。その成果はまた後日。
ルクセンブルク出張にて、ホテルでノマド中の1枚。その成果はまた後日。    平井大介

それでもわざわざPCに向かっているのは、このAUTOCAR JAPANというメディアにおいて、作り手の顔が見える場所が必要と思ったからだ。

私はプロフィールにもあるように、1997年にネコ・パブリッシングへ新卒で入社し、それ以来、カー・マガジン、ROSSO、ティーポ、SCUDERIAなど、自動車を趣味とする雑誌、ムックを数多く編集してきた。

以来、27年と4ヵ月。エンスー総本山ともいえるネコ・パブリッシングはいつしか、カルチュア・エンタテインメントという企業のネコパブ事業部と名を変え今も継続しているが、まるで運命であるかのように、そもそも総本山を作った主(ファウンダー)である笹本健次が率いるACJマガジンズへ移籍。編集長職を笹本から引き継ぐことになった。

それなりに大きい企業から、少数精鋭とは聞こえがいいが、ごく小さな会社へ移籍することは、世間的に見れば無謀と言える選択だ。しかしこの場所には、かつて新卒で入った世田谷区弦巻の事務所で見た原点があった。いや、正確には、忘れかけていた原点を思い出させてくれた。

それは、クルマへの愛、だ。

この1ヵ月半、ホビダス・オート以来、約10年ぶりのWEBサイト運営で、戸惑うどころか毎日迷子になっているような感覚が続いている。そんな編集長としての編集方針も定まらない中、多くの方と打ち合わせの席を設けて、そこでひとつだけ、自然と口をついて出たのが、このキーワードだった。

ジャーナリズムではなくエンターテインメント

前任者たちが作った公式SNSのプロフィールには、『白黒はっきりした批評を支持いただいております』と書いてある。白黒とは、”いいところも、よくないところもしっかりと書く”ということだろう。それはUK本国の原稿がまさにそうで、書かなければならないことは忖度せずにちゃんと書いている。

それは長い歴史を持つAUTOCARとしての矜持であり、読み手への礼儀だ。しかしそれをただストレートに書くのではなく、ひとつ間違えるとネガティブな悪口になりかねない内容を、クルマへの深い愛をバックグラウンドに、英国らしいユーモヤやウィットに富ませることでエンターテインメントとしている。

フィアット600e試乗中の1枚。デザインが好きて……秋。
フィアット600e試乗中の1枚。デザインが好きて……秋。    佐藤亮太

それは、ジャーナリズムではなくエンターテインメントだ。

私は長年、ジャーナリストではなくエディターとして生きてきた。そして本を手に取って頂いた方への礼儀として、愛する、愛すべきクルマたちをいかにエンターテインメントとして楽しんで頂くかを、悩み、悩み、悩み、考え、考え、考えてきた。

そんな、クルマへの愛を持ってエンターテインメントを作っていくというスタンスは、ここAUTOCAR JAPANでも偶然合致した……いや、これこそが、元々ネコ・パブリッシングの持っているDNAなのだろう。

そろそろ空港に着くのと、だんだんと長くなってきたので、いったんここでPCを閉じることにする。

自分でも想像していなかった51歳のチャレンジは始まったばかりだが、そういったスタンス、DNAをもって、AUTOCAR JAPANを多くの自動車趣味人に楽しんで頂けるメディアにしていきたい。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 編集

    平井大介

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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