【NISMOが設立40周年】 原点は大森ワークス! NISMOロードカーが生まれるまで

公開 : 2024.09.28 06:25

日産自動車のモータースポーツブランド『NISMO(ニスモ)』が設立40周年を迎え、9月17日に日産自動車と、NISMOブランドを受け持つ日産モータースポーツ&カスタマイズによる式典が開催されました。そこで40年の歴史を、大音安弘が解説します。

追浜ワークスと大森ワークス

日産自動車のモータースポーツブランド『NISMO(ニスモ)』が、設立40周年を迎えた。それを記念して9月17日、日産自動車と、NISMOブランドを受け持つ日産モータースポーツ&カスタマイズによる式典が、神奈川県横浜市の日産グローバル本社ギャラリーにて開催された。

10月15日までグローバル本社日産ギャラリーでは『NISMO 40周年記念特別展示』と題して、『270R』や『400R』などのコンプリートカー、『アリアNISMO』や『フェアレディZ NISMO』などのロードカー、そしてモータースポーツシーンを彩ってきた『ニッサンR92CP』や『スカイラインGT-RグループAカルソニック』などのレーシングカーを展示。連日、日産ファンたちが見学に訪れている。

右上がダットサン1000セダン。左下が初代社長であった難波靖治氏。
右上がダットサン1000セダン。左下が初代社長であった難波靖治氏。

まずは、NISMO創設の歴史について振り返りたい。

日産自動車は創業まもない1936年、日本初の常設サーキットとしてオープンした玉川スピードウェイでのレース参戦からモータースポーツに挑み、1958年には、当時世界で最も過酷なラリーとして知られた『オーストラリア大陸一周ラリー』にダットサン1000セダンで参戦。クラス優勝を果たすなど戦いの舞台で技術を磨いてきた歴史がある。

その後、日産ワークスチームには、プロトタイプカーを主とした『追浜ワークス』とツーリングカーを主とした『大森ワークス』が存在したが、1970年代に入ると、レース活動は追浜ワークスが主体となり、大森ワークスはレース用パーツの開発と供給を担うようになった。

その大森ワークスを母体に、1984年に設立されたのが、NISMOの愛称で知られる『日産モータースポーツインターナショナル』だ。その後の、国内外のスポーツプロトタイプカー(グループC)レースや、R32型スカイラインGT-R(グループA)のツーリングカーレースなどの活躍は誰もが知るところ。つまり1990年代までは、生粋のモータースポーツ集団だったのだ。

NISMO初のコンプリートカー、270R

そのNISMOが、初のコンプリートカー『NISMO 270R』を送り出したのは1994年のこと。設立10周年を記念するモデルとして、30台限定で送り出された。バブル期の日産車は、『901活動』(1990年代までに技術世界一を目指す)により生まれた走りに優れたモデルたちが人気を博し、ストリートチューニングも賑わいを見せていた。

NISMOも持ち前の技術を活かし、市販車向けチューニングパーツビジネスに参入を始めており、初代社長であった難波靖治氏は、海外メーカーがワークスチームの技術を反映させたコンプリートカーを手掛けていることを参考に、NISMOコンプリートカーの企画開発に着手した。

NISMO初のコンプリートカー『270R』。S14型シルビア前期がベース。
NISMO初のコンプリートカー『270R』。S14型シルビア前期がベース。

第1弾モデルとなった270Rは、難波社長の思い入れの強かったモデルのひとつ、S14型シルビアの前期をベースに開発。エンジン、駆動系、ブレーキ、シャシー、内外装まで手を加えた、NISMOの名に恥じない本格的なものであった。

その名が示すように、当時の280ps自主規制内に収まる最高出力270psとし、その名も国際ラリーで活躍したS110型シルビアがベースのコンペティションモデル、『240RS』のオマージュとした。

ベース車よりも50ps/6.5kgmの性能向上を図ったことで、パワーウエイトレシオも5.55kg/psから4.59kg/psへと向上。価格はR32型スカイラインGT-Rに迫る450万円と、ベース車より200万円高であったが、今考えれば破格の値段といえるだろう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    大音安弘

    1980年生まれ、埼玉県出身。幼き頃よりのクルマ好きが高じて、エンジニアから自動車雑誌編集者に転身。現在は自動車ライターとして、軽自動車からスーパーカーまで幅広く取材を行う。原稿では、自動車の「今」を分かりやすく伝えられように心がける。愛車は、スバルWRX STI(VAB)とBMW Z4(E85)など。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事