ゴルフGTIの「隠れた対抗馬」 ヒーレー・フォード・フィエスタ(1) 13インチのミニライト!

公開 : 2024.10.20 17:45

大手メーカーとの契約を望んだヒーレー ワイドフェンダーとチンスポイラーで差別化されたフィエスタ 1.6Lエンジンは81psへ強化 走りの魅力も相当に高いハッチバックを英編集部がご紹介

大手メーカーとの契約を望んだヒーレー

ワイドなフェンダーと、ホワイトレターのタイヤ。1970年代のカスタムカーっぽい雰囲気を漂わせるが、れっきとしたメーカー仕様にある。フォードフィエスタ XR2に先駆けて試作した、フォルクスワーゲン・ゴルフ GTIの隠れた対抗馬だ。

遡ること1977年。ヒーレー・オートモービル・コンサルタント社を取り仕切るドナルド・ミッチェル・ヒーレー氏は、新たな仕事を探していた。トラブルの少なくなかったジェンセン・ヒーレーは、既に生産が終了していた。

ヒーレー・フォード・フィエスタ(プロトタイプ/1979年)
ヒーレー・フォード・フィエスタ(プロトタイプ/1979年)

1950年代のオースチン・ヒーレー 100やスプライトを手掛けた時のように、彼は大手の自動車メーカーとの新契約を望んでいた。そんな折り、フォードは横置きエンジンの小さなハッチバック、フィエスタを発売。新たな潮流を牽引し始めていた。

スタイリングは、当時ギア社に在籍していたトム・ジャーダ氏。スッキリまとまった容姿だったが、エンジンはパワーが足りず、優れた動力性能を獲得できていなかった。

アメリカ・デトロイトを拠点にしたマーケティングの専門家、ゲイリー・コーズ氏は、フィエスタの販売数を伸ばすうえで速い仕様の必要性を唱えた。そこで彼が提案したパートナーが、英国のヒーレー。フォードも、彼の考えへ賛同した。

ドナルドは、フォード・エスコートRS 2000を所有していた。小さなハッチバックにも、小さくない可能性を見出したに違いない。

1.6Lのケント・エンジンは81psへ強化

ドイツ・ケルン工場で生産されていたアメリカ向けのフィエスタには、1598ccのクロスフロー・エンジン、ケント・ユニットが載っていた。コンロッドは5枚のベアリングで支えられ、堅牢性は高かった。957ccと1117ccのユニットは、ベアリングが3枚だった。

そこでコーズは、ケント・ユニットを手配。ベース車両をディーラーに準備させ、グレートブリテン島中部、ワーウィックに構えたヒーレーの工場へ届けた。

ヒーレー・フォード・フィエスタ(プロトタイプ/1979年)
ヒーレー・フォード・フィエスタ(プロトタイプ/1979年)

ヒーレーのスタッフは、インチアップしたミニライト・アルミホイールを組めるかどうか、真っ先に確認。4気筒エンジンは、レーシングカーの開発を得意としたブロードスピード・エンジニアリング社へ転送され、相応のチューニングが依頼された。

キャブレターは、フェデラル社製からウェーバー社製へ置換。吸排気ポートが加工され、ピストンを交換し、圧縮比は10.1:1へ高められた。カムもスポーティなアイテムへ交換された。

最高出力は、フライホイール直下で106ps/6250rpm以上。フロントタイヤへ伝わるネット値は、81ps/5500rpmが想定された。オリジナルのフェデラル・キャブレター仕様では、67psに留まっていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ポール・ハーディマン

    Paul Hardiman

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ヒーレー・フォード・フィエスタの前後関係

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