「美味しい部分」は大手メーカーへ ヒーレー・フォード・フィエスタ(2) 1台限りのホットハッチ

公開 : 2024.10.20 17:46

走りの魅力も相当に高い小さなハッチバック

ヒーレーフォードフィエスタの走行距離は、1万1000kmほど。「再塗装しましたが、それ以外は当時のままです。わたしが購入してからも、1600kmくらいしか走っていませんよ」。とケネディは説明する。

歴史的な価値もさることながら、小さなハッチバックとして、走りの魅力度も相当に高い。ドナルド・ヒーレー氏がどの程度の販売価格を想定していたのかは不明だが、作業量と、ヒーレー・ブランドの維持に必要な資金を考えると、安くはなかったはず。

ヒーレー・フォード・フィエスタ(プロトタイプ/1979年)
ヒーレー・フォード・フィエスタ(プロトタイプ/1979年)

フォードも、この素晴らしさには気づいていたのだろう。1981年に、ヒーレー・フォード・フィエスタと同じ構成を採用した、フィエスタ XR2をリリースしている。庶民にも現実的な価格で。

大手の自動車メーカーに、美味しいところだけを持っていかれたといえるヒーレー。結局、英国の小さな名門は、厳しい現実に揉まれただけだった。

協力:クラシックモビリア社

番外編:マーケターが考えたヒーレーとの共作

アメリカ・デトロイトを拠点にする、マーケティングの専門家だったゲイリー・コーズ氏は、フォードやフォルクスワーゲンをクライアントにしていた。そんな彼は、小さなフィエスタに大きな期待を寄せた。

フォードに在籍した経験を持つデザイナー、ハリー・ワイクス氏へ接近。フィエスタをベースに、高級な雰囲気を引き出して欲しいと依頼している。

ヒーレー・フォード・フィエスタ(プロトタイプ/1979年)
ヒーレー・フォード・フィエスタ(プロトタイプ/1979年)

ワイクスは、ハッチバックのサイドラインをツートーン塗装で強調。ワイドなアルミホイールを覆う、ボディキットも想定したスタイリングを描き出した。スケッチでは、ホイールの直径は大きく見えないが、ロールケージは組まれていた。

フロントグリルも変更され、バンパーとの一体感を高めることが提案された。しかし、この案は実現していない。ヒーレー・フォード・フィエスタでは、フェンダーパネルが叩き出され、フロントスポイラーが追加されるに留まった。

コーズは、ヒーレーとの別のコラボレーションも考えていた。ひと回り大きいハッチバックのデザインを、ワイクスに依頼している。彼の洗練されたスケッチに反して、フォードで試作されたコンセプトカーは冴えない見た目だったが。

ボディは、ヒーレー・フォード・フィエスタと同じ、ブリティッシュ・グリーンで塗装。ヒーレーの名前を掲げるという合意も得ていたという。1982年から1983年のモーターショーへ出展されているが、これも量産には至っていない。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ポール・ハーディマン

    Paul Hardiman

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ヒーレー・フォード・フィエスタの前後関係

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