「風の丘」で眠る何千台ものクルマたち 家族経営の巨大ジャンクヤードで見つけた珍しい宝物 40選 前編

公開 : 2024.11.02 18:05

ジャガーMk2

ジャガーMk2セダンは人気車種であり、ジャンクヤードに出回ることはあまりない。写真のこの角度から見るとそれほど悪くは見えないが、実は、3.8L 6気筒エンジンを含むフロントの大部分が欠けている。

1959年から1967年の間に8万3000台以上が生産された。そのうち、望ましい3.8Lを搭載したのは3万141台。ヤードのFacebookページによると、この個体は2019年からここにあるようだ。

ジャガーMk2
ジャガーMk2

シボレー・ステーションワゴン(1962年)

ウィンディヒル・オートパーツは、1980年代後半には間違いなく米国最大級のジャンクヤードであった。取材班が話を聞いたスタッフによると、当時ハイウェイを挟んだ両側の丘の中腹に何万台もの車両が並んで置かれていたという。

しかしその後、何千台もが破砕機にかけられ、残っているのは道路の片側だけ。ご覧のように、この1962年型シボレー・ステーションワゴンは、周囲に多くの空きスペースがある。

シボレー・ステーションワゴン(1962年)
シボレー・ステーションワゴン(1962年)

ポンティアック・ボンネビル・コンバーチブル(1963年)

1963年には約2万3459台のポンティアック・ボンネビル・コンバーチブルが販売され、まともなコンディションの現存車両にはかなりの金額がつく。しかし、上部がばっさり切断されたこの個体は、まともなコンディションとは言い難い。とはいえ、良好なスペアパーツはいくつか残っている。

ポンティアック・ボンネビル・コンバーチブル(1963年)
ポンティアック・ボンネビル・コンバーチブル(1963年)

フォード・カスタム300(1957年)

ナンバープレートから判断すると、この1957年型フォード・カスタム300は、1968年以来、道路を走っていないようだ。その後はどこにいたのだろう? 50年以上もウィンディヒルで眠っていたわけではないのは明らかで、まだ多くのパーツが残っている。

1957年型シボレーは世界で最も愛されているクラシックカーの1つだが、当時はフォードに販売台数で負けていた。

フォード・カスタム300(1957年)
フォード・カスタム300(1957年)

シボレー・マスター(1939年)

ウィンディヒルの丘の頂上にある草木が生い茂った一角には、戦前のクラシックカーが埋もれるようにして隠れている。車種を特定するのは容易ではないが、取材班はこれが1939年式のシボレー・マスター85の2ドア・セダンであると確信している。

エンジンルームと助手席ドアの開口部から生えている木に注目してほしい。

シボレー・マスター(1939年)
シボレー・マスター(1939年)

オースチンA40

希少性の高さが必ずしも価値につながるわけではない。こちらは非常に珍しいオースチンA40 Mk1セダンで、1958年から1961年にかけて生産された16万9612台のうちの1台である。

2ドア・セダンと3ドア・ハッチバックがあり、デザインはイタリアのピニンファリーナ、生産は英国のBMCが担当した。最高出力34ps、排気量948ccのエンジンを搭載し、最高速度は110km/hだった。

オースチンA40
オースチンA40

イタリアのスタイリングと英国の “精密エンジニアリング” を融合させているにもかかわらず、米国国民は納得しなかった。1795ドルという当時の販売価格もあだとなっており、これはフォルクスワーゲンビートルより200ドルも高価であった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ愛知在住。幼少期から乗り物好き。住宅営業や記事編集者といった職を経て、フリーランスとして自動車メディアで記事を書くことに。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。

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