「風の丘」で眠る何千台ものクルマたち 家族経営の巨大ジャンクヤードで見つけた珍しい宝物 40選 前編

公開 : 2024.11.02 18:05

シボレー(1959年)

このアクロバティックな1959年型シボレーが最後に道路を走ったのは1977年のことなので、フロアパンがほぼ完全に朽ち果てているのは驚くにはあたらない。1959年は米国の自動車産業にとって好調な年であり、シボレーは146万台を売り上げて首位に立った。フォードは145万台で僅差の2位、そして大きく差を広げて3位のプリマス(45.8万台)が続いた。

シボレー(1959年)
シボレー(1959年)

ナッシュ・アンバサダー(1951年)

この特徴的なファストバックの空力性能はさぞや高かったに違いない。1951年型のナッシュ・ステーツマンの4ドアで、比較的良いパーツがまだたくさん残っている。同年の最上級トリム・レベルであるカスタムのようだ。カスタムは、1951年に生産された6万1583台のアンバサダーのうち、2万1071台を占めている。

ナッシュ・アンバサダー(1951年)
ナッシュ・アンバサダー(1951年)

シボレー・マリブ

縦に積み重ねられた長方形のツイン・ヘッドライトを持つ1976年型シボレー・マリブ・クラシックの美しさに異論を唱える者は少ないだろう。実際、米国国民はこぞってショールームに走り、この4ドア・セダンを7万7560台も買い上げた。

1983年から1997年まで空白期間はあるものの、マリブは1964年から現在までシボレーのラインナップに並んでいる。

シボレー・マリブ
シボレー・マリブ

ポンティアック・カタリナ(1970年)

この1970年型ポンティアック・カタリナは、ナンバープレートから判断するに、ウィンディヒル・オートパーツに最近やってきたばかりの新しい住人だ。ボディワークとインテリアはほぼ完全だが、最高出力340psの6.6L V8はすでに誰かが持っていったようだ。

新車当時、このエンジンがあれば0-97km/h加速8秒未満を達成できた。1970年のカタリナの総生産台数は22万3380台で、そのうち7万350台がこの個体のようなハードトップ・クーペであった。

ポンティアック・カタリナ(1970年)
ポンティアック・カタリナ(1970年)

フォード・ギャラクシー500(1963年)

1950年代後半から1960年代前半にかけて、国民は偉大なる宇宙開発競争に夢中になり、フォードもその熱狂に便乗してギャラクシー(銀河)という車名を採用した。

フォードは他にも、スターライナーやマーキュリー・メテオ、コメットなど、宇宙関連の車名を多く使用している。その点では、この1963年型フォード・ギャラクシー500は、まるで宇宙から降ってきたかのようだ……。

フォード・ギャラクシー500(1963年)
フォード・ギャラクシー500(1963年)

(翻訳者注:この記事は後編に続きます)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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