フォルクスワーゲンにフラれた924 ポルシェ944 ターボ(1) 進化を重ねル・マンで善戦!

公開 : 2024.10.27 17:45

VWとの共同プロジェクトで生まれた、4気筒のFRポルシェ 流用技術の調和が取れていた924 ル・マン総合7位の944プロトタイプ 進化の過程とターボSEの魅力を英編集部が振り返る

フォルクスワーゲンのために開発が進んだ924

半世紀前のフランス・パリ・モーターショー。1974年のポルシェは、911のラインナップにターボを追加した。巨大なリアウイングと広がったリアフェンダー、エンジンリッドのイタリック・ロゴ。ポルシェのターボの、お約束が誕生した瞬間だった。

一方で、ポルシェ944もターボの恩恵にあやかった。トランスアクスルのフロントエンジン・リアドライブ(FR)という魅力を、確実に引き上げたといえる。過小評価されてきたこのポルシェを遡ると、924へ辿り着く。

ポルシェ944 ターボ(1985〜1991年/欧州仕様)
ポルシェ944 ターボ(1985〜1991年/欧州仕様)

フォルクスワーゲンのために開発が進められた924だったが、最終的に選ばれたのは、カルマン社が生産するコストの低いシロッコ。ポルシェは、それまでに費やした3000万マルクと時間を無駄にするのか、プロジェクトを引き継ぐのか、岐路に立たされた。

その妥協案として導かれたのが、フォルクスワーゲン・グループが924に必要な部品を、安価で提供するというもの。その生産はアウディへ委託され、ドイツ南西部、ネッカーズルム工場の仕事も確保することが狙われた。

ポルシェの技術者、エルンスト・フールマン氏は、コストパフォーマンスの高いスポーツカーへ911を交代させたいと考えていた。既に開発が進んでいた、V8エンジンを搭載した928の提供と並行するように。その結果、924は量産化へ進み出した。

全体的な仕上がりは調和が取れていた

ただし、フォルクスワーゲンでの販売を想定していただけに、ポルシェとは呼びにくいクーペではあった。928に先駆けたFRモデルで、エンジンはアウディ100やフォルクスワーゲンLTという商用バンも搭載する、水冷の直列4気筒だった。

スタイリングは、シャープで現代的なものだったが、シャシーに目新しさはなかった。サスペンションは前がゴルフで、後ろはビートル譲り。リアブレーキはドラム。トランスアクスルは、ポルシェの技術が投入されつつ、アウディ100と部品を共有した。

ポルシェ944 ターボ(1985〜1991年/欧州仕様)
ポルシェ944 ターボ(1985〜1991年/欧州仕様)

もっとも、それらが組み合わされた成果は悪くなかった。1977年にAUTOCARは試乗し、こうまとめている。「部品を集めたクルマのように思えるとしても、全体的な仕上がりは調和が取れています。設計は間違いなく悪くありません」

924が、フォルクスワーゲンやアウディから発売されていれば、間違いなく成功作として認識されたことだろう。だが、ポルシェとなると話は違った。英国価格も、アルファ・ロメオGTVより3割も高かった。

操縦性は同時期のライバルより優れていたものの、洗練性や動力性能は感銘を残すほどではなかった。とはいえ、ポルシェは多少の弱点があったとしても、全力を投じて改善を施すという姿勢を持っていた。

1976年に、フールマンは次のように取材へ答えている。「わたしたちの指揮のもとで、924は本物のポルシェのように進化していくでしょう」。長い時間をかけて設計を改めるという、姿勢表明といえた。その中核になったのが、ターボチャージャーだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ニール・ウィン

    Neil Winn

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ポルシェ944 ターボの前後関係

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