【1980~90年代に大流行】 みんな大好きリトラクタブル・ヘッドライト!

公開 : 2024.10.15 18:05  更新 : 2024.10.15 18:31

日本では1980~90年代にかけて国産スポーツカー、スペシャルティカーを中心にリトラクタブル・ヘッドライト(格納式前照灯)を採用したクルマが多数存在していました。当時、所有もしていた木原寛明が想い出とともに振り返ります。

MR2NSX、スタリオン、180SXRX-7、アルシオーネ

今でこそ、その機会は少なくなってしまったが、日本では1980年代から1990年代にかけて国産スポーツカー、スペシャルティカーを中心にリトラクタブル・ヘッドライト(格納式前照灯)を採用したクルマが多数存在しており、よく見かけたものだ。

代表例を挙げる。トヨタがMR2(AW11/SW20)、スプリンター・トレノ(AE86/AE92)、セリカXX(A60)、スープラ(A70)、ホンダがNSX(NA1/フェイスリフト前NA2)、プレリュード(AB/BA1/BA4/BA5/BA7)、三菱がスタリオン(A182/A183/187A)、GTO(Z15A/前期型Z16A)、日産フェアレディZ(Z31)、180SX(RS13/RPS13他)、マツダがユーノス・ロードスター(NA6CE/NA8C)、RX-7(SA22C/FC3S/FD3S)、そしてスバル・アルシオーネ(AX4/AX7/AX9)などがそうだ。

こちらはホンダ・プレリュードのリトラクタブル・ヘッドライト。
こちらはホンダ・プレリュードのリトラクタブル・ヘッドライト。    ホンダ

それではこれらのクルマが、リトラクタブル・ヘッドライトを採用した理由はなんだろう。

ひとつめは高さが低く、空力的に優れた形状のノーズを採用するためだ。ふたつめは当時アメリカのカリフォルニア州で存在したヘッドライトの高さ制限に関する法律(ヘッドライトの中心軸が地上約61cm以上必要とされた)をクリアするため。このふたつの事情によって生み出された。

ネガティブ案件としては、ライト点灯時に空気抵抗が悪くなってしまうのと、フロント先端の重量がかさみやすくなり、ハンドリングに影響が出てしまうこと。また車種によって異なるが、いったんヘッドライトを上昇させてからでないとパッシングができないこと。そして当然ながら製造コストは高くなることだ。

スーパーカーブームでは子どもたちのヒーロー

時を少し遡り、日本でリトラクタブル・ヘッドライトが大注目を浴びたのは1970年代後半のスーパーカーブームで、ランボルギーニカウンタックLP400やフェラーリBBなどが子どもたちのヒーローになった。1967年にはトヨタ2000GTが発売されているが、本来、フロントグリル両サイドの補助灯がヘッドライトとなるべく開発されていたものの、前述のアメリカの法規によって、開発途中でリトラクタブル・ヘッドライトを搭載することになったという話がある。

アメリカは日本車のマーケットとして絶大だ。だから実用車でリトラクタブル・ヘッドライトを搭載したクルマもあり、”流行に乗っているな”と思った方もおられるだろう。ホンダ・アコード(CA型)や、トヨタ・カローラIIリトラ(L3♯)、日産パルサー・エクサ(N12)、エクサ(KN13)、マツダ・ファミリア・アスティナなど。どれもスタイリッシュなクルマだが、デザイナーはさぞ苦労したことだろう。

スーパーカーブーム時代のヒーロー、カウンタックもリトラクタブル。
スーパーカーブーム時代のヒーロー、カウンタックもリトラクタブル。    ランボルギーニ

リトラクタブル・ヘッドライトは構造上、いくつかに分類することができる。

主流はライトユニットの前端を持ち上げる構造のものだが、ランボルギーニ・ミウラのように消灯時はライトユニットが寝ていて点灯時に起き上がるタイプもある。またホンダ・バラード・スポーツCR-X(初代/前期型)のようにライトユニット上端のカバーが開閉するセミ・リトラクタブル・ヘッドライトとでも呼ぶべき構造や、シボレーコルベット(2/3/4代目)のようにライトユニットが回転するものもあった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    木原寛明

    Hiroaki Kihara

    1965年生まれ。玉川大学では体育会ノリの自動車工学研究部に所属し、まだ未舗装だった峠道を走りまくった。最初の愛車(本当は父のもの)は2代目プレリュード(5MT)。次がフルチューンのランサーEXターボ。卒業してレースの世界へと足を踏み入れたものの、フォーミュラまで乗って都合3年で挫折。26歳で自動車雑誌の編集部の門を叩き、紙時代の『AUTOCAR JAPAN』を経て、気が付けばこの業界に30年以上。そろそろオーバーホールが必要なお年頃ですが頑張ります!
  • 編集

    平井大介

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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