【1980~90年代に大流行】 みんな大好きリトラクタブル・ヘッドライト!

公開 : 2024.10.15 18:05  更新 : 2024.10.15 18:31

2代目プレリュードを所有していた想い出

個人的な話で恐縮だが、これまで筆者は輸入車、国産車合わせて約50台の愛車と暮らしてきた。その中にリトラクタブル・ヘッドライトである、新車で購入したホンダ2代目プレリュード(AB)の5速マニュアル車が含まれている。

プレリュードを選んだ理由はもちろんリトラクタブル・ヘッドライトであることもあるが、そもそもエクステリアデザインが気に入った。FF車とは思えない極端に低いノーズ。端正な3ボックスの優雅なシルエット。1本ワイパー、それに低い着座位置や充実した装備類、走りもスポーツカーと呼んでいいほど洗練されていた。低いノーズに収まる足まわりはなんとダブルウィッシュボーン式サスペンションだ。

筆者も当時、2代目ホンダ・プレリュードを所有。
筆者も当時、2代目ホンダ・プレリュードを所有。    ホンダ

納車されてからは毎日のようにプレリュードで走り回った。1980年代当時は同車種のクルマとすれ違うときにパッシングする風習があったが、私の記憶が確かであれば、2代目プレリュードの前期型はヘッドライト開閉ボタンでライトを上昇させてからでないとパッシングが出来なかったが、それは不便でもあり楽しい儀式でもあった。またヘッドライトを上昇させていると、高速域での加速が遅くなった記憶もある。おそらく最高速度にも変化があったに違いない。

このようにリトラクタブル・ヘッドライトは良いことだけではなかったが、衝突時の歩行者保護の観点から姿を消してしまったのは寂しい。現代の安全技術を導入して新たなリトラクタブル・ヘッドライト車が生まれることに期待しよう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    木原寛明

    Hiroaki Kihara

    1965年生まれ。玉川大学では体育会ノリの自動車工学研究部に所属し、まだ未舗装だった峠道を走りまくった。最初の愛車(本当は父のもの)は2代目プレリュード(5MT)。次がフルチューンのランサーEXターボ。卒業してレースの世界へと足を踏み入れたものの、フォーミュラまで乗って都合3年で挫折。26歳で自動車雑誌の編集部の門を叩き、紙時代の『AUTOCAR JAPAN』を経て、気が付けばこの業界に30年以上。そろそろオーバーホールが必要なお年頃ですが頑張ります!
  • 編集

    平井大介

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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