パガーニ・ゾンダ S ケーニグセグCCXR(1) 全身全霊で速さを引き出す 瞬間的で爆発的な加速!

公開 : 2024.11.03 17:45

スーパーカーの概念を超えた21世紀のハイパーカー 全身全霊で動力性能を引き出す 速度上昇は瞬間的で爆発的 トップギアでコースレコード樹立 少量生産の2台を英編集部が振り返る

21世紀初頭にハイパーカーの頂点へ君臨

「偉大な力には、巨大な責任が伴う」。アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、過去にこう宣言した。パガーニ・ゾンダ SとケーニグセグCCXRが秘めた、桁違いの最高出力を予見した発言ではないものの、運転すれば真実だと実感する。

トランスミッションは、3ペダルのマニュアル。トラクション・コントロールは、かなりベーシック。メーターはシンプルなアナログ。21世紀初頭に、ハイパーカーという新ジャンルの頂点へ君臨した2台だ。

ブラックのケーニグセグCCXR エディションと、ブルーのパガーニ・ゾンダ S ロードスター
ブラックのケーニグセグCCXR エディションと、ブルーのパガーニ・ゾンダ S ロードスター

驚異的な動力性能を引き出すため、ドライバーは全身全霊を尽くす必要がある。運転の緊張感を下げる、高度なシャシー制御技術やシーケンシャル・ミッションは備わらない。シームレスな電動パワートレインでもない。

適任が運転すれば、安全に走れる。そのかわり負担も小さくない。手懐けられる人には、尊敬の眼差しが向けられる。

同時期には、ブガッティ・ヴェイロンやフェラーリエンツォ・フェラーリポルシェ・カレラGTなどが存在した。技術的には先にあり、いずれもシフトパドルを備えていた。しかし、資金集めのために生まれたような部分もゼロではない。

グレートブリテン島南部、ダンスフォールドのトップギア・テストコースで比較するなら、速さを突き詰めたラテン系とスカンジナビア系の2台が良い。ドライバーは、無口なスティッグではないけれど。

知見を集結し完全な量産車を作る野望

AUTOCARの読者なら、2台の登場が数年離れていることへお気づきだろう。だが、それぞれの派生シリーズは同時期に生産されていた。

先に量産仕様が発売されたのは、自然吸気V型12気筒エンジンを積んだゾンダ。自動車技術者を目指し1983年にアルゼンチンを旅立った、オラチオ・パガーニ氏の夢の結晶といえる。

パガーニ・ゾンダ S ロードスター(2003〜2006年/英国仕様)
パガーニ・ゾンダ S ロードスター(2003〜2006年/英国仕様)

友人でレーシングドライバーだった、ファン・マヌエル・ファンジオ氏の紹介状で、彼はランボルギーニへ就職。10年後には、複合素材の技術開発を率いた。

そこで生まれたのが、軽量・強固なカーボンファイバーの利点を示した、1987年のカウンタック・エボルツィオーネ・コンセプトだ。ところが、同社の経営陣はすぐには共感しなかった。

オラチオは、1988年に独立。複合素材を専門とする、パガーニ・コンポジット・リサーチ社を創業する。フェラーリとの関係が生まれ、程なくしてランボルギーニとも仕事をするようになった。

彼が抱いていた野望は、自らの知見を集結した量産車を生み出すこと。その一歩として、1991年にモデナ・デザイン社を設立。1992年にはパガーニ・アウトモビリ社を立ち上げ、21世紀にハイパーカーと呼ばれる新モデルの開発が始まった。

プロジェクトC8と呼ばれた原型は、1993年にダラーラ社の風洞実験施設でテスト。1994年には、将来の量産モデルも含めた、メルセデスAMGとのパワートレイン提供契約が結ばれる。

ゾンダというモデル名は、1995年に決まった。アルゼンチンの言葉で、アンデス山脈から吹き下ろす強い風を意味する。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

パガーニ・ゾンダ S ケーニグセグCCXRの前後関係

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