ライフル銃からスポーツカーまで 業界の巨人「マグナ」知られざる物語 歴史アーカイブ

公開 : 2024.10.24 18:05

マグナ・シュタイア社は業界以外ではあまり知られていないが、トヨタ、BMW、ジャガーなど数多くの自動車メーカーから信頼を得ている製造業者だ。その複雑な歴史を紐解く。

業界の巨人はいかにして生まれたか

先週、AUTOCARは間もなく生産終了となるジャガーIペイスを称賛した。その生産地は英国ではなくオーストリアである。なぜなら、Iペイスはジャガー向けにマグナ・シュタイア社によって生産されているためだ。

同社は業界以外ではあまり知られていないものの、世界中の自動車メーカーから信頼を得ている数十億ドル規模の巨大企業である。しかし、どのような経緯でそうなったのだろうか? それを紐解くには3本の物語の「糸」をたどる必要がある。

マグナ・シュタイアの歴史を振り返る。
マグナ・シュタイアの歴史を振り返る。

1本目の糸は、1830年にまで遡る。その年、実業家レオポルト・ヴェルンドル(Leopold Werndl)氏がオーストリアのシュタイアでライフル銃の部品製造を始めた。第一次世界大戦で大きく成長した同社は、事業の多角化を図り、型破りなことで有名な自動車技術者ハンス・レドヴィンカ(Hans Ledwinka)氏をタトラから引き抜き、1920年には独自の設計による低価格の乗用車を発売した。

AUTOCARは1925年に初めてシュタイアのクルマに触れ、直列6気筒セダン「タイプVII」について次のように評した。

「シャシーは非常にモダンな設計であることは明らかであり、工場の性質は期待される仕上がりのレベルを十分に示している。性能は極めて良好で、特に排気量と重量(1880kg)を考慮すると顕著である。サスペンション・システムについては、賞賛以外に言葉がない」

2本目の糸は、ヨハン・プフ(Johann Puch)氏がグラーツに自転車工場を開いた1890年に遡る。経営はすぐに軌道に乗り、1904年には自動車にまで事業を拡大。オーストリアのハプスブルク家のリムジンまで手がけるようになった。

3本目の糸は1899年、ドイツのダイムラー社がウィーンに子会社を設立したときのこと。オーストリア・ダイムラー社は、フェルディナンド・ポルシェ氏の指揮の下、初期の四輪駆動車、軍用車両、さらには鉄道車両など、さまざまな車両を生産した。中でも高級車が非常に優れており、王室の紋章を付けることが許され、レーシングカーも世界トップクラスの性能を誇った。

AUTOCARは1925年に初めて “AD” (オーストリア・ダイムラー)に試乗し、スポーツツアラー「19/70hp」について、次のように評している。

「ホイールベース3.4mのシャシーに搭載されたエンジンは、排気量2.5L強(重量は1500kg)であることを考えると、その性能はどんなドライバーも失望させることはないだろう。クラッチストップが装備されているため、坂道でのシフトチェンジも楽にこなせる。さらに、操作系も適切に配置されており、初めて運転する人でも安心できる、快適なハンドリングを実現している」

欧州が大恐慌に陥ると、それぞれの糸は複雑に絡み合っていった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    クリス・カルマー

    Kris Culmer

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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