ライフル銃からスポーツカーまで 業界の巨人「マグナ」知られざる物語 歴史アーカイブ

公開 : 2024.10.24 18:05

四輪駆動車やスポーツカー製造に長ける

まず、1928年に、創業者の急逝により意気消沈していたプフが、ポルシェ博士をシュタイアに奪われたばかりのオーストリア・ダイムラーと合併した。1930年にはシュタイアも自動車販売台数が5000台からわずか13台に落ち込むなど急速に業績悪化し、1935年に合併が決定。こうして、シュタイア・ダイムラー・プフという複合企業が誕生した。

第二次世界大戦により方針転換を余儀なくされ、オーストリアの工場ではナチス・ドイツのために銃やポルシェ設計のV8トラックを生産した。

シュタイア・プフ650
シュタイア・プフ650

戦後もトラック、バス、トラクターなどが事業の中心的な存在であり続けたが、同社は乗用車を放棄することなく、1948年からフィアットの設計を変更したモデルの生産契約を結んだ。

中でも最も重要なのは、戦後のイタリアを動かした小型で超低価格の500であり、シュタイア・ダイムラー・プフはクールなスポーツバージョンも開発した。AUTOCARは1967年、欧州ラリー選手権でタイトルを獲得したばかりのシュタイア・プフ650 TRIIに触れ、その実力の高さを垣間見た。

「その驚くべき650cc空冷水平対向2気筒エンジンは、36馬力を発生し、音は心地よく、非常にパワフルで、酷使されても挫ける気配がない」

軍用車両に関しては、軽量4×4のハフリンガーは「悪路であればあるほど、その性能が発揮される」ことが分かり、また、大型6×6のピンツガウアーについては「これを超えるものはない。苗木やその他の障害物をものともせず、力強く上っていく姿は、本当に畏敬の念を抱かせる」と評した。

ダイムラーがシュタイア・プフ社にゲレンデヴァーゲン用の4×4システムの開発を依頼したことも、フィアットがパンダ用に同じ依頼をしたことも頷ける。

複合企業体は1980年代に徐々に解体され、自動車部門は1998年にダイムラーに買収された。2001年にはカナダの部品メーカー、マグナが買収し、今日に至る。ジャガーだけでなく、BMWトヨタにも自動車を生産している。

記事に関わった人々

  • 執筆

    クリス・カルマー

    Kris Culmer

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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