ちょっとマイナーな「珍車」ばかり! VWの博物館がすごかった 秘密のコレクション 18選

公開 : 2024.11.16 18:05

独フォルクスワーゲンがこれまでに “販売しなかった” 珍しいプロトタイプやコンセプトカーを見ることができる「シュティフトゥング博物館」の展示品を一部だけ紹介する。

誰も知らないVW車

フォルクスワーゲンは、本拠地であるドイツ北部ウォルフスブルクに2つの博物館を運営している。

1つは「ツァイトハウス(ZeitHaus)」と呼ばれ、有名な100台のクルマが生き生きと展示されている。ランボルギーニ・ミウラ、オースチン・ミニ、キャデラック・エルドラド、そしてもちろんフォルクスワーゲンのモデルを見ることができる。

ドイツのシュティフトゥング自動車博物館にある興味深いコレクションを一部抜粋して紹介する。
ドイツのシュティフトゥング自動車博物館にある興味深いコレクションを一部抜粋して紹介する。

「シュティフトゥング(Stiftung)」と名付けられた2つ目の博物館は、フォルクスワーゲンがこれまで雇ってきた優秀なエンジニアたちの頭の中を覗くような場所である。知る人ぞ知るワンオフ車、重要な量産車、一般公開されることのなかったプロトタイプ、かつて人気を博したコンセプトカーなどがすべて同じ屋根の下に集結している。

今回は、シュティフトゥング自動車博物館の興味深い展示を紹介しながら、同社の歴史の陰で忘れ去られた側面を探求していきたい。

1955年 EA48(1)

量産されることはなかったが、フォルクスワーゲンが1955年に開発したEA48プロトタイプは、1959年発売のオースチン・ミニに驚くほどよく似ている。EA48はビートルよりも小型で、性能と価格を抑えた乗用車として構想された。ビートルと部品を共有すればコストを抑えることができただろうが、設計者は文字通り白紙の状態から線を引き始めた。

EA48はフォルクスワーゲン初の小型車であり、ポルシェからの技術提供を受けずに独自に設計された初のモデルである。モノコック構造、フロントエンジン・フロントドライブ(FF)、マクファーソン式フロントサスペンションを採用するなど、当時としては前例のない設計だった。プロトタイプにはリアのサイドウィンドウがないが、フォルクスワーゲンは発売前に追加する予定であった。

1955年 EA48(1)
1955年 EA48(1)

1955年 EA48(2)

EA48に搭載されているエンジンは、基本的にはビートルの水平対向4気筒エンジンを半分にカットしたものだ。空冷式の0.7L水平対向2気筒エンジンは最高出力18psを発生し、最高速度は80km/hに達する。当時、同サイズのライバルの多くがまだ3速だったのに対し、4速マニュアルを採用している。

フォルクスワーゲンはEA48を公道でテストし、その欠点を修正しながら量産計画を練っていたが、やがてビートルの販売に与える影響について問題視されるようになった。当時の主力モデルであるビートルは、ようやく消費者の心をつかみ始めたところであり、より小型で安価なクルマを発売すればこれまで築いた基盤を破壊してしまうのではないかと心配する声もあった。

1955年 EA48(2)
1955年 EA48(2)

興味深いことに、競合するボルクヴァルト社の創設者カール・F・ボルクヴァルト(Carl F. Borgward)氏も西ドイツ政府にフォルクスワーゲンに開発中止を要請するよう強く求めた。ルートヴィヒ・エアハルト経済相はこれを受け、フォルクスワーゲンの代表であるハインツ・ノルトホフ氏に対し、EA48が生産ラインの最終段階まで進めば、ライバルブランドで何千もの雇用が失われると警告した。

結局、EA48の開発は1956年に中止され、自動車史の日陰に置かれることになった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ愛知在住。幼少期から乗り物好き。住宅営業や記事編集者といった職を経て、フリーランスとして自動車メディアで記事を書くことに。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。

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