ジャガーとブガッティを愛した男の夢 パンサー:J72からカリスタまで 旧式な姿+現代の走り!

公開 : 2024.11.10 17:45

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クラシカルなカタチを求めた男の夢

形態は機能に従う。自動車メーカーの殆どは、デザインで見た目より機能性を重んじる。

BMCミニやフォルクスワーゲンビートルだけでなく、ロールス・ロイスフェラーリにも該当する哲学だ。他を凌駕する豪華さや最高速度を求めて、あのカタチは創造された。それが美しいという事実が、一層の訴求力を生み出す。

パンサーJ72(3.8/1972〜1984年/北米仕様)
パンサーJ72(3.8/1972〜1984年/北米仕様)

だが、パンサー・ウェストウィンズ社を創業したロバート・ボブ・ジャンケル氏の場合、クルマへ求めたものはカタチだった。1970年代から1980年代にかけてクラシカルなスタイリングを提案し、特定のニーズへ応えた。

ロバートは、1938年のロンドンに生まれた。父は衣料品の卸売店を営んでいたが、16歳の時にオースチン・セブンがベースの小さなスペシャル・スポーツカーを製作。一気に関心が深まり、大学では自動車工学を学んだ。

彼はアマチュアドライバーとしても技術を磨き、英国のチューニングガレージ、スーパースピード社と契約。フォード・アングリア 105Eでレースイベントを戦った。だが、ジェニファー・ロス氏との恋に落ち、結婚を期に引退を決意する。

フォードの営業マンを経て、ロバートは家業を継承。そこで元来のファッションセンスを発揮しつつ、クルマへ才能は展開していった。

1970年に、彼は1930年式ロールス・ロイスをレストア。完成後に家族でスペイン旅行へ向かうと、現地の闘牛士から声をかけられた。1万ポンドで買いたいと、申し出があったという。また、別のクルマのレストアも頼まれたらしい。

ジャガーの見た目へ強い影響を受けたJ72

これを機に、クラシカルなボディに現代的なパワートレインを組み合わせた、独自モデルの設計をロバートはスタート。パンサー・ウェストウィンズ社が設立された。

ちなみにパンサーは、ジャガーに対するリスペクト。ウェストウィンズは、自宅のあった地名に由来する。

パンサーJ72(3.8/1972〜1984年/北米仕様)
パンサーJ72(3.8/1972〜1984年/北米仕様)

彼の息子、アンドリュー・ジャンケル氏が振り返る。「父はかつて、人との対話から多くの達成が可能になると話していました。そんな考えでジャガーと良好な関係を築き、部品供給を受けるように。父の辞書に、ノーはなかったですね」

ほどなく、ワークショップはロンドンの西、ウェーブリッジへ移転。1972年にパンサーJ72が発表される。モデル名は、ジャンケルによる1972年の作品という意味を持つ。

見た目は、ロバートが愛する1936年のジャガーSS100へ強い影響を受けていた。レプリカと呼べるほどではなかったが、間違いなく似ていた。

アルミ製ボディは手作業で成形され、パイプを組んだチューブラーシャシーに被さった。サスペンションは、パナールロッドとコイルスプリング、ダンパーが支えるリジットアクスル。ジャガーXJ6の部品が多用されていた。

エンジンはジャガーMk2用の3.8L直列6気筒で、最高出力192psと最大トルク27.6kg-mを発揮した。1973年には、XJ6用の4.2Lユニットへ置換。オプションで、5.3L V型12気筒も用意された。

車重は1140kgと軽く、0-97km/h加速は6.4秒。最高速度は183km/hに届く。12年間に、378台が生産されている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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