【惜しい! 無念!】 Q45、180SXにラシーン! 一代限りで終わってしまった名車たち:日産編

公開 : 2024.10.26 07:05

その素晴らしさが語り継がれ、中には専門店まで存在するのに、残念ながら一代限りで終わってしまった車種が数多くあります。ああ、間違いなくいいクルマだったのに……。そんな無念の『日産車』たちをご紹介します。

インフィニティQ45(1989~1996年)

トヨタがセルシオを発売したのと同じ1989年に、日産から斬新な高級車がデビューした。それが『インフィニティQ45』だ。

全長5090×全幅1825×全高1430mmの堂々たるボディに4.5LV8エンジン(280ps)を搭載し、油圧式アクティブサスペンション仕様を用意。

インフィニティQ45(1989~1996年)
インフィニティQ45(1989~1996年)    日産

グリルレスのフロントマスク中央に七宝のエンブレムを取り付けた斬新なエクステリアに、インテリアは木目を使わず金粉蒔絵のインストゥルメントパネルを用意するなど独自の美を追究。ディーラーオプションで18金製のゴールドキーを販売したほどだ。

後期型では七宝エンブレムが廃止されダミーグリルが取り付けられたが、販売面ではトヨタ・セルシオや同門の初代シーマに大きく差をつけられてしまった。しかし走りは欧州の高級車のようで、とくに高速時の安定性は特筆に値するものであった。

その後は三代目シーマや、プレジデントJSが実質的な後継車となり、インフィニティQ45は一代限りで販売を終了した。

180SX(1989~1999年)

日産シルビア(S13型)の発売開始から1年が経った頃、日産から新たに1.8Lターボエンジンを搭載するハッチバック・スタイルのFRスポーツカーが誕生。それが『180SX』だ。

このクルマは北米向けに発売されていた240SXのハッチバック・モデルを日本向けに仕立て直したもので、ボディやメカニズム、インテリアなど、ほとんどのパーツを日本市場における兄弟車のシルビアと共用している。

日産180SX(1989~1999年)
日産180SX(1989~1999年)    日産

エクステリアではリトラクタブル・ヘッドライトを採用しており、シルビアとは別のイメージを構築していた。メカニズムではシルビアには用意があったNAエンジンの設定がなく、ターボ仕様のみとなっていた。

180SXは大きく分けて前期型(1989~1991年)、中期型(1991~1996年)、後期型(1996~1999年)がある。エンジンは前期型のみCA18DET型(1.8L/175ps)で、中期型以降はSR20DET型(2.0L/205ps)を搭載した。

シルビアが1993年に3ナンバーサイズのS14型にモデルチェンジしても180SXは根気よく販売を続け、マイナーチェンジのたびにボディ剛性などを強化して走りを磨いてきた。

そのため現在の中古車市場で後期型の人気はとても高くなっている。シルビアはS15型まで継続したが、5ナンバーサイズの180SXは一代限りで引退となってしまったのが残念でならない。

記事に関わった人々

  • 執筆

    木原寛明

    Hiroaki Kihara

    1965年生まれ。玉川大学では体育会ノリの自動車工学研究部に所属し、まだ未舗装だった峠道を走りまくった。最初の愛車(本当は父のもの)は2代目プレリュード(5MT)。次がフルチューンのランサーEXターボ。卒業してレースの世界へと足を踏み入れたものの、フォーミュラまで乗って都合3年で挫折。26歳で自動車雑誌の編集部の門を叩き、紙時代の『AUTOCAR JAPAN』を経て、気が付けばこの業界に30年以上。そろそろオーバーホールが必要なお年頃ですが頑張ります!
  • 編集

    平井大介

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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