米国にある「廃車の山」で見つけたお宝 40選 前編 ジャンクヤード探訪記

公開 : 2024.11.24 18:05

フォード・グラントリノ

1975年および1976年のフォード・グラントリノの多くは、映画『スタスキー&ハッチ』の劇中車を模して赤く塗られ、白いストライプが施された。ブロアムの2ドア・ハードトップでなかったら、この個体も同じような変身を遂げて生き残っていたかもしれない。

フォード・グラントリノ
フォード・グラントリノ

フォード・マスタング(1974年)

ダウンサイジングされたマスタングIIは、1974年の発表時にはさまざまな反響を呼んだ。しかし、V8エンジンが選べなかったにもかかわらず、驚くほどよく売れた。実際、1976年は38万6000台が売れ、同モデルにとって史上4番目に好調な年となった。

1974年から1978年までの5年間で、マスタングIIは合計110万台を売り上げた。

フォード・マスタング(1974年)
フォード・マスタング(1974年)

マーキュリー・コメット

グリル、テールライト、ボンネット、バッジの違いを除けば、第5世代コメットはどこから見てもフォード・マーベリックである。しかし、人気度には大きな違いがあり、マーベリックの販売台数は常にコメットを4倍ほど上回っていた。写真の2ドア・セダンは、深刻な腐食問題を抱えている。

マーキュリー・コメット
マーキュリー・コメット

プリムス・ダスター

1970年から1976年にかけて生産されたプリムス・ダスターは、基本的にヴァリアントの2ドア・クーペである。実際、販売開始の初年度にはヴァリアントのバッジが付けられていたが、1971年からは独立モデルとなった。最終的にはプリムス・ヴォラーレに置き換えられた。

プリムス・ダスター
プリムス・ダスター

マーキュリー・モントレー(1954年)

この1954年型マーキュリー・モントレーのトランクリッドを、なぜわざわざ取り外して、そのまま残したのだろう? 荒れてはいるが、部品などはほぼ完全に揃っているように見える。

モントレーは22年の歴史の中で、初期の段階ではマーキュリーの最高級モデルであった。そのため、この1台にはフルカーペットや電気時計など、贅沢な装備がふんだんに与えられていたはずだ。

マーキュリー・モントレー(1954年)
マーキュリー・モントレー(1954年)

シボレー・コルベア・コンバーチブル

このシボレー・コルベアのラグトップ・ルーフはボロボロで、インテリアの悲惨な状態を反映している。1960年に発表されたコルベアは、リアマウントの空冷エンジンと独立懸架サスペンションを備えたユニークな設計で、それまでの常識を覆す画期的なモデルであった。

1969年の生産終了までに、180万台という驚異的な台数が生産された。

シボレー・コルベア・コンバーチブル
シボレー・コルベア・コンバーチブル

AMCグレムリン

世界最悪のクルマについての本を書くなら、AMCグレムリンを掲載するのはほぼ義務のようなもの。そして、その説明には茶色の車両が使われるだろう。

このクルマの評判が悪い理由の1つは、サブコンパクトの輸入車バスターと銘打たれていたものの、その宣伝文句と実態が合っていなかったからだ。基本的には既存のホーネットを短くしたもので、車幅が広すぎる、燃費が悪い、価格が高すぎるなど、多くの欠点があった。当初は販売台数が急伸したものの、幻滅した消費者はすぐに代替品を求めた。

AMCグレムリン
AMCグレムリン

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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