【いいクルマだったのに!】MR-S、プログレ、iQにマークXジオ!一代限りで終わってしまった名車たち:トヨタ編

公開 : 2024.11.05 11:45

ヒット作になると信じて企画、開発して、最高のマーケティングチームが後押ししても、残念ながら一代限りで終わってしまった不遇のクルマたち……。ここではそんなトヨタ車たちをご紹介します。

ヒット作になると信じて

トヨタは車種の宝庫だ。昔から脈々と続く車名もあるが、新たな名称のクルマも次々と登場している。それがヒット作になると信じて企画、開発して、最高のマーケティングチームが後押しする。しかし、いいクルマだったのに残念ながら一代で終わってしまったトヨタ車たちも存在する。そんな不遇なクルマを紹介しよう。

左上から時計回りに、トヨタMR-S、プログレ、マークXジオ、iQ。
左上から時計回りに、トヨタMR-S、プログレ、マークXジオ、iQ。    トヨタ

トヨタ・プログレ(1998~2007年)

キャッチコピーは『小さな高級車』。当時の資料によればスリーサイズは全長4500×全幅1700×全高1435mm(後輪駆動)の5ナンバーサイズで、ホイールベースは2780mmとクラウン並みに大きく採られている。

グレードは2JZ-GE型3.0L直6エンジンを搭載した後輪駆動の『NC300』、2.5L直6を搭載した同じく後輪駆動の『NC250』、そしてNC250の4WD版である『NC250 Four』が基本構成。インテリアにウォールナットを使用した、『ウォールナットパッケージ』なども用意されていた。

トヨタ・プログレ(1998~2007年)
トヨタ・プログレ(1998~2007年)    トヨタ

プラットフォームは8代目マークII(1996~2000年)、足まわりは10代目クラウン(1995~1999年)のものを採用。サスペンションのセッティングは快適性を重視したもので、プログレの販売ターゲット層が高級車を乗り継いできたミドル層以上であったことが想像できる。

エクステリア、インテリアのデザインは保守的とも古典的ともとれるものだが、驚くのは『セルシオ品質』を狙ったという質感の高さ。

例えばボディの塗装は全色5層コートであり、オプションの本革シートやインストゥルメントパネルの質感、走行音の静かさなど、当時、取材で実際に見て乗ってみたが、『小さな高級車』のキャッチコピーに嘘偽りがないことが理解できる。

そんなプログレが一代で終わってしまったのは、価格の高さ(当時のクラウンとほぼ同じ)が一番の理由ではないだろうか。とても真面目に作られた日本の『もてなし』を感じる高級車だっただけに、残念でならない。

トヨタ・ブレビス(2001~2007年)

『小さな高級車』がキャッチコピーのプログレがマイナーチェンジしたタイミングで登場した姉妹車、それがブレビスである。ちなみにこちらのキャッチコピーは『アクティブ・エレガンス』とされ、当時販売されて間もなかった三代目セルシオに似たエクステリアデザインを採用して登場したことが話題になった。

ボディサイズはプログレよりも若干大きく、全長4550×全幅1720×全高1460mm(後輪駆動)、ホイールベース2780mmとなっており、従って3ナンバーサイズとなる。

トヨタ・ブレビス(2001~2007年)
トヨタ・ブレビス(2001~2007年)    トヨタ

メカニズムはプログレと共用する部分が多い。エンジンは2JZ-FSE型の3.0L直6直噴(220ps)と1JZ-FSE型の2.5L直6直噴の(200ps)の2系統で、プログレ同様2.5Lには4WD車が用意された。

サスペンションもプログレと同じ4輪ダブルウィッシュボーン式。タイヤサイズはプログレが15インチであるのに対して16、ないしは17インチとなる。当時試乗した印象は、プログレよりも若干固めの乗り味だった。

装備も充実しており、エレクトロマルチビジョン、高級オーディオ(5.1ch対応DVDシステム)、ディスチャージヘッドランプ、パワーアジャスタブルペダル(アクセレータ/ブレーキペダルの前後電動調整)など、至れり尽くせりである。また、プログレと異なる部分として、ブレビスのATはゲート式セレクターを採用していた。

ブレビスもまた、プログレ同様に2007年に販売を終了している。プログレよりも若々しさを感じさせるエクステリア、インテリアのデザインを採用していたが、乗ってみるとごく普通のセダンの乗り味であり、もう少し、FRならではのファントゥドライブを表現できていれば、二代目誕生の可能性があったかもしれない。

記事に関わった人々

  • 執筆

    木原寛明

    Hiroaki Kihara

    1965年生まれ。玉川大学では体育会ノリの自動車工学研究部に所属し、まだ未舗装だった峠道を走りまくった。最初の愛車(本当は父のもの)は2代目プレリュード(5MT)。次がフルチューンのランサーEXターボ。卒業してレースの世界へと足を踏み入れたものの、フォーミュラまで乗って都合3年で挫折。26歳で自動車雑誌の編集部の門を叩き、紙時代の『AUTOCAR JAPAN』を経て、気が付けばこの業界に30年以上。そろそろオーバーホールが必要なお年頃ですが頑張ります!
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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