【いいクルマだったのに!】MR-S、プログレ、iQにマークXジオ!一代限りで終わってしまった名車たち:トヨタ編

公開 : 2024.11.05 11:45

トヨタMR-S(1999~2007年)

「MR-SはMR2の後継ではない」とトヨタは主張する。

その理由は専用プラットフォームを使ったライトオープンスポーツカーであり、ターボ車の設定がないことも挙げる。確かに1995年にMR-Sの原型と思しきコンセプトカー(こちらは4人乗りだが)の『MR-J』を発表し、2年後の1997年の東京モーターショーでは「トヨタ・スポーツ800の再来」と銘打って展示したことからも、それは真実だと想像できる。

トヨタMR-S(1999~2007年)
トヨタMR-S(1999~2007年)    トヨタ

そんなMR-Sのメカニズムで特徴的なのは、二代目MR2(SW20型)同様にFF(前輪駆動)車のエンジンを後方に移動し、基本コンポーネントを流用することでミドシップ化したこと。コストを抑えて軽量化(車両重量960kg~)もしていることだ。

エンジンは1ZZ-FE型の1.8L直4(140ps)で、トランスミッションは5速MTと新開発の5速シーケンシャルトランスミッション『SMT』が用意された。SMTは2ペダルだが、トルクコンバータを使う通常のオートマチックと違い、ギヤシフトにダイレクト感があり、MTに馴染んだ手練れが乗っても不満のない走りが可能だった。ちなみにMT、SMTともに2002年に行われたマイナーチェンジで5速から6速になり戦闘力、楽しさともに向上した。

サスペンションは4輪ストラットだが、コーナリングでは意外なほど足がよく粘る。オープンカーでもボディ剛性は高く、サスペンションや吸排気系などの合法チューンナップの余地も十分残されている、実に愉しいクルマだ。

2007年に販売を中止するが、それによってトヨタのスポーツカーの流れは2012年に86が出るまで途切れてしまう。ちなみに当時、TRDがチューニングしたMR-Sに乗せて頂いたが、最高にご機嫌な1台だったことはどうしても書いておきたい。

トヨタiQ(2008~2016年)

ボディスタイリングから想像できるとおり、iQはトヨタのAセグメントのマイクロカーである。

スリーサイズは全長2985×全幅1680×全高1500mmというもので、ホイールベースは2000mm。ちなみに車両重量は890kgとなっている。

トヨタiQ(2008~2016年)
トヨタiQ(2008~2016年)    トヨタ

インテリアでは助手席のダッシュボード下部が大きく削られた形状をしており、助手席を前に出せば、後方のシートに大人が座れるというもの。乗車定員は最大4人だが、運転席後方の座席に大人が座るのは難しい。コンセプトは大人3人の子供ひとり、または大人3人と荷物の3+1シーターである。

iQは欧州でも販売されたが、日本仕様のエンジンはダイハツと共同開発した1L直3(68ps)のみ。組み合わされるトランスミッションはコンパクト設計のCVTである。2009年には同じくダイハツと共同開発した1.3L直4(100ps)エンジン搭載車が加わった。

小さなクルマであるが、安全装備は充実しており、ABSやブレーキアシスト、横滑り防止装置のS-VSC、合計9個のエアバッグなどが備わる。

試乗した印象は、ドッシリとした安定感と適度なキビキビ感を持ち、ボディサイズ以上の安心感のあるクルマであった。室内も大人3人が乗れることを確認した。

2009年、アストンマーティンがiQをベースにした『シグネット』というクルマを発売し話題になった。iQはマイクロカーとしての出来は良かっただけに、一代で販売を終了してしまったのが残念だ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    木原寛明

    Hiroaki Kihara

    1965年生まれ。玉川大学では体育会ノリの自動車工学研究部に所属し、まだ未舗装だった峠道を走りまくった。最初の愛車(本当は父のもの)は2代目プレリュード(5MT)。次がフルチューンのランサーEXターボ。卒業してレースの世界へと足を踏み入れたものの、フォーミュラまで乗って都合3年で挫折。26歳で自動車雑誌の編集部の門を叩き、紙時代の『AUTOCAR JAPAN』を経て、気が付けばこの業界に30年以上。そろそろオーバーホールが必要なお年頃ですが頑張ります!
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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