思春期の頃に影響を受けた日産車の話【新米編集長コラム#6】
公開 : 2024.11.03 16:05
8月1日よりAUTOCAR JAPAN編集長に就任したヒライによる、新米編集長コラムです。編集部のこと、その時思ったことなどを、わりとストレートに語ります。第6回は思春期の頃に最も影響を受けた日産車の話です。
父親はY31型グロリア・グランツーリスモ乗り
1973年生まれの筆者が思春期に最も影響を受けたのは、日産自動車のクルマたちだ。まず父親がY31型『グロリア・グランツーリスモ』に、叔父がZ31型『フェアレディZ』にそれぞれ乗っていたのが大きい。
グランツーリスモはVG20Eを積むベーシックグレードで、ホイールデザインが大人しいので、上級モデルであるVG20DETを積む『グランツーリスモSV』がいいと父親に主張したのだが、予算的に届かなかったようだ。元々『ブルーバード2.0SSSアテーサ』を購入しようと日産のディーラーに行ったら、両車の値段があまり変わらなかったため、グロリアを選んだそうである。ちなみに私が運転免許証を取得して最初に運転したのが、このグロリアだった。
叔父も、その父親(つまり私の祖父)もクルマ好きで、千葉の松戸から東京の世田谷まで電車で訪ねては、いろいろと乗せてもらった記憶がある。叔父がZ31を新車で購入したときは、もちろん納車直後に駆け付けた。そこに駐車されていたライトブルーのZ31の神々しさは、今でも鮮明に覚えている。
また当時は、『西部警察』の劇中でフェアレディZ(スーパーZ)やスカイライン(マシンX、マシンRS)が活躍し、漫画『よろしくメカドック』でもフェアレディZ(ワタナベ・スーパーZ、グレーサーZ)が活躍。特にグレーサーZはフルタイム4WDのエピソードが大好きで、当時、週刊少年ジャンプを持つ手が思わず震えた。
そういった輝かしい記憶や体験は、国産メーカーの中でも、日産を特別視する要因となっている。だから、今でもフェアレディZやGT-Rが販売されている事実だけで、胸が熱くなるのだ。
GT-Rはスーパーカーか?
ということで実は、今回のテーマは2025年モデルのGT-Rなのだが、その原稿を書く上で、筆者がこういうバックグラウンドを持つ日産ファンであることを、どうしてもお伝えしたくて書き始めたら、前置きだけで1パラグラフも使用してしまった……(以前も書きましたが、前置きが長すぎるのは本当に悪い癖だと自覚アリマス)。
さて正式にアナウンスはされていないが、今回の2025年モデルが、最後のGT-Rになる可能性が高い。2001年の東京モーターショーで発表された『GT-Rコンセプト』から実に四半世紀近く。21世紀を代表する1台の歴史がもうすぐ終わろうとしているのを、黙って見てはいられず、2025年モデルの広報車をお借りした次第だ。
ちなみに話が脱線するが、2008年2月末に発売した、当時私が編集長を担当していたスーパーカー雑誌『ROSSO』では、前年にデビューしたGT-Rが表紙を飾っている。『2008、和製スーパーカーブーム元年!』、『GT-R誕生に沸く今こそ、ジャパン・メイドのスーパーカーに大注目!!』の文字が踊り、中面では18ページにわたり紹介。開発ドライバーの鈴木利男さんに911ターボと比較試乗をお願いし、ちゃんと厚木詣をして開発責任者の水野和敏さんにもインタビューするなど、結構充実している。
当時、「ROSSOでGT-R?」、「GT-Rはスーパーカーじゃないだろ」など、社内外から批判の声を受けたが、特集記事は今読み返しても面白いので、1ミリも後悔していない。売れ行きも、毎年売り上げが落ちる2月発売号にしては善戦したはずだ。
スーパーカーの定義は難しくて、そういった質問を何度も受けてきたが、その度にこう答えることにしている。
「スーパーカーの定義は100人いれば100通りあります。あなたがそれをスーパーカーだと思えば、軽自動車であっても、それはスーパーカーなのです」
2008年当時もそう思っていて、GT-Rは一般的にはスポーツカーだが、それでも日本車が高まっていく姿が誇らしくて、日本のスーパーカー雑誌がGT-Rを取り上げなくてどうする、という気概を持って特集を作ったのであった。
嗚呼、脱線した先がまた長くなってしまった……。2025年モデルの印象はまた次回ということで。壮大な前置きに最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。