なぜ潰れた? 名車と振り返る「消滅した自動車メーカー」 32選 前編

公開 : 2024.11.23 18:05

デイムラー:SP250/ダート(1959年)

かつて英国の王侯貴族にも自動車を供給していたデイムラーは、もともとはドイツのダイムラー社から派生した会社だ。英語の綴りはどちらも「Daimler」だが、通例に従い、ここでは区別のために英国側をデイムラーと表記する。

英国では独自のモデルを生産しており、中でもSP250のエンジンは興味深い設計で、排気量わずか2.5LながらV8だった。エレガントでありながら見た目も面白く、最高速度190km/hと高性能で、重厚な従来モデルとは一線を画している。英国初の高速道路M1でスピード違反の取り締まりに使われたのは有名な話だ。

デイムラー:SP250/ダート(1959年)
デイムラー:SP250/ダート(1959年)

では、デイムラーはどうなったのか?

同社は1960年にジャガーに売却され、最終的にバッジエンジニアリングされたジャガーの派生ブランドとなった。2007年に消滅したが、権利は未だにジャガーが保有している。とはいえ、本家のダイムラー(ややこしい……)が現在、メルセデス・ベンツの大型トラック部門の名前にもなっていることから、復活する可能性は低いと思われる。

デイムラー・ダート
デイムラー・ダート

デソート:モデルK(1928年)

1928年にクライスラーによって設立されたデソートは、1929年モデルに最初の市販車であるモデルKを発表した。発売後1年間で8万1065台を販売し、この記録は数十年間破られることはなかった。モデルKは同クラスのクライスラーよりも安く、6気筒エンジンを搭載し、ロードスターを含む多くのボディスタイルが用意された。適切な時期に登場した適切なモデルであり、デソートの未来は明るいと思われた。

デソート:モデルK(1928年)
デソート:モデルK(1928年)

では、デソートはどうなったのか?

デソートの初期の成功はすぐに色あせた。クライスラーは1928年にダッジも買収しており、この2つのブランドはしばしば重複していた。どちらも大衆車としてクライスラーより下位に位置づけられていたのだ。

1952年には新型ファイヤードームV8を、1955年には「フォワード・ルック」と呼ばれるデザイン言語を採用した。1958年にはエドセルを終焉させたのと同じ不況の影響もあって販売が落ち込み、クライスラーは1961年にデソートを閉鎖した。

デソート・モデルK
デソート・モデルK

デ・トマソ:パンテーラ(1971年)

アレハンドロ・デ・トマソ(1928-2003)氏は、息をのむほどゴージャスなクルマをデザインし、フォードからV8を購入してシートの後ろに詰めた。パンテーラには品質上の問題があったにもかかわらず、米国では高性能車に対する欲求が高く、デ・トマソに安定したキャッシュフローをもたらした。

信頼性が低かったためか、オーナーの1人であるエルビス・プレスリーはおそらく癇癪を起こして、パンテーラに向けて何度も拳銃を撃った。銃弾が役に立ったかどうかは定かではない。

デ・トマソ:パンテーラ(1971年)
デ・トマソ:パンテーラ(1971年)

フォードは1975年に米国への輸入を停止したが、欧州を含む他の市場向けには1992年まで生産が続けられた。

記事に関わった人々

  • AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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