なぜ潰れた? 名車と振り返る「消滅した自動車メーカー」 32選 前編

公開 : 2024.11.23 18:05

では、デ・トマソはどうなったのか?

デ・トマソは1975年にマセラティと合併し、マセラティの方が常に多産であったが、デ・トマソの販売も2004年に同社が消滅するまで細々と続けられた。その後、商標は売却され、2011年のジュネーブ・モーターショーにはデ・トマソのコンセプトカーが登場したが、それ以来音沙汰はない。

デ・トマソ・パンテーラ
デ・トマソ・パンテーラ

イーグル:タロン(1989年)

クライスラーは1988年、同年撤退したAMCを引き継ぐ形でイーグルを設立した。イーグルの車種は平均的で面白みのないものが多く、ブランドイメージの確率に苦しんでいた。唯一の例外はタロンで、三菱エクリプスと密接な関係にあるスポーツカーだ。四輪駆動システムと最高出力195psのターボチャージャー付き4気筒エンジンを搭載し、1989年に1990年モデルとして発売された。

イーグル:タロン(1989年)
イーグル:タロン(1989年)

では、イーグルはどうなったのか?

今にして思えば、クライスラーにはイーグルのような無名ブランドを置く余白はなかったし、イーグルに戦うチャンスを与えるだけの関心も資金もなかった。1990年代には次々とモデルが撤退し、イーグルの名前は1998年に消滅した。現在はステランティスがその名を所有している。タロンを生産していたイリノイ州ノーマルの工場は現在、電動ピックアップトラック・メーカーのリビアンが所有している。

イーグル・タロン
イーグル・タロン

ファセル・ヴェガ:エクセレンス(1958年)

ファセル・ヴェガは、英国のロールス・ロイスやドイツの高級車ブランド勢に直接戦いを挑むようなエクセレンスというモデルを導入し、世界のセレブリティに支持されたブランドである。逆開きのリアドア(観音開き)を持つ重厚なデザインから、手作業で作られたインテリアに至るまで、エクセレンス(excellence:優秀、卓越している)という名に恥じないものであった。ブランドの、そしてフランスの自動車産業全体のフラッグシップとしての役割を果たした。

ファセル・ヴェガ:エクセレンス(1958年)
ファセル・ヴェガ:エクセレンス(1958年)

では、ファセル・ヴェガはどうなったのか

メルセデス・ベンツのような大手のライバルとの競争に敗れ、1964年に閉鎖された。ルイ・ヴィトンやシャネルのような世界的な高級ブランドの本拠地であるフランスが、なぜここ数十年、成功した高級車ブランドを生み出せなかったのか、いまだに謎のままである。

ファセル・ヴェガ・エクセレンス
ファセル・ヴェガ・エクセレンス

ハドソン:ホーネット(1951年)

ハドソン・ホーネットは、大きな丸いヘッドライト、ふんだんに使われたクロームメッキ、ポンツーンのようなリアエンドへと流れていく長いルーフラインを備えている。パワートレインは5.0L直6を採用。1950年代初頭のNASCARレースを席巻したことでも知られる。

では、ハドソンはどうなったのか?

1954年にナッシュ・ケルビネーターと合併し、アメリカン・モータース・コーポレーション(AMC)が設立された。ハドソンのバッジは1957年まで存続した。AMCの名残は、特にジープを含め、現在ステランティスにある。

ハドソン:ホーネット(1951年)
ハドソン:ホーネット(1951年)

記事に関わった人々

  • AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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