もの凄く「絵になる」クルマ ジャガーEタイプ S1(1) そのすべてへ夢中になった15歳

公開 : 2024.11.23 17:45

スポーツカーへ興味を抱くのは自然な流れ

バークは技術者の家系に生まれ、スポーツカーへ興味を抱くのは自然な流れだったという。「祖父は歯車の製造メーカーを経営しており、父は(自動車・航空機エンジンメーカーの)アームストロング・シドレー社に勤めていたんです」

「曽祖父は、エンジンの研究者。その遺伝子が、自分にも伝わったのでしょう」

ジャガーEタイプ S1(1962年式/英国仕様)
ジャガーEタイプ S1(1962年式/英国仕様)

数多くの名車を所有してきた彼だが、そこにはモーガンも含まれる。「大好きなメーカーですが、乗り心地はハード。30km毎に休憩する必要があります。親戚から受け継いだモーガン4/4を、母が運転していた記憶もありますよ」

普段使いのクルマとしては、サーブ96にボルボP1800、ジャガーXJ40、メルセデス・ベンツSLKなどを選んできた。父として、ボルボのステーションワゴンも。

最初に購入したのは、BMCミニだった。「母が亡くなった年に、相続したお金で購入しました。その後に買った、オースチンヒーレー・スプライトはとても気に入っていましたね。ボロボロになりましたが」

「21歳の時に、マンチェスターの新聞、デイリー・メール紙へ就職。当時から付き合っていた、今の妻のクリスティーンと一緒に、高速道路をよく走りました。ソフトトップのラッチが壊れていて、手で抑えながら」

イギリス空軍への入隊も考えたそうだが、視力が引っかかり断念。ジャーナリストとしての道を追い求めることにした。文章力に長けた彼は、地方紙でキャリアを形成。同じく著名なジャーナリストになる、スー・ロウリー氏とも交友を深めたという。

報道がチャリティー「バンドエイド」の結成に

バークは、1970年にBBCのラジオ番組へ出演する。「これを経て、全国ネットのニュース番組のプレゼンターに就任しました。クレジットカードと、機能的な防寒具を支給してもらって。貸与車両として、フォード・エスコートも」

彼が主に担当したのは、産業分野の取材。ローバーやジャガーなどを傘下に収めた、ブリティッシュ・レイランド社で深刻化していた労働闘争などを中心に、現場を駆け回った。「憂鬱な仕事でしたよ。高給だったので、頑張れた感じです」

ジャガーEタイプ S1(1962年式/英国仕様)
ジャガーEタイプ S1(1962年式/英国仕様)

海外での取材が自分には合っていると考え、1年後に異動。北海油田やOPEC(石油輸出国機構)など、エネルギー産業に関する取材が任された。中東地域へ向かうことも多かったそうだ。

「その頃に住んでいたのは、(グレートブリテン島北部の)エディンバラ。できるだけ子どもが寝る前に、帰宅するよう努めていました。本当に素敵な街でした」

1983年からは、南アフリカの特派員へ。エチオピアの飢餓問題に関する1984年の報道は大きな反響を集め、ミュージシャンが集結したチャリティーバンド、「バンドエイド」のシングル曲「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」発表へ繋がった。

「その頃の自分は、フォルクスワーゲン・コンビを所有していました。家族での長距離旅行を楽しむために」

「ケープタウンでの不法占拠キャンプの状況を取材中に、同僚のカメラマンが命を落としました。彼はEタイプを所有していたんですが、スマートに受け継ぐアイデアは、最後まで思い付くことはなかったです」

この続きは、ジャガーEタイプ S1(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ジャガーEタイプ S1の前後関係

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