【ミスター・ル・マンが自らドライブ】ファンの心を繋ぎながら、マツダ787Bは今も走り続ける!

公開 : 2024.11.09 11:45

富士スピードウェイのマツダファンフェスタ2024で、マツダ787Bがデモランを行いました。ドライバーはミスター・ル・マンこと、寺田陽一郎氏です。ル・マン総合優勝から30年以上。こうして動態保存されているのは、他ならぬマツダ・ファンのためです。高桑秀典がレポートします。

1991年のル・マンを制した787Bがデモラン

マツダは2021年11月に立ち上げたレーシングチーム『マツダ・スピリット・レーシング』の活動を軸に、現在、参加型モータースポーツを積極的にサポートしている。

マツダ・スピリット・レーシングの名称には、過去にマツダが参戦してきたモータースポーツにおける『あきらめずに挑戦し続けた志』を受け継ぎ、チャレンジを楽しむユーザーや応援してくれるファンの心をつなぎながらスピードスポーツを盛り上げていきたいとの想いが込められている。

カーナンバー55番/シャシーNo.787B-002という優勝マシンそのものがデモランを披露。
カーナンバー55番/シャシーNo.787B-002という優勝マシンそのものがデモランを披露。    平井大介

国内外のレースにおけるマツダ車の輝かしい戦績を挙げていったら、それだけで本稿が終わってしまう。しかし1991年の第59回ル・マン24時間レースでマツダ787Bが日本車初の総合優勝を果たしたことが、ファンにとって最も印象的なリザルトということになるだろう。

マツダ・ロータリーエンジンを搭載しているグループCレーシングカーの集大成として誕生したマツダ787Bは、マツダの開発陣と実行部隊であるマツダスピードが総力を挙げて開発。2023年のル・マン24時間レース100周年記念イベントにも招待され、他の名車たちと共にサルト・サーキットをデモ走行したことでも知られている。

去る10月19~20日に富士スピードウェイで開催された『マツダファンフェスタ2024』でも、マツダ787Bが官能的な4ローターサウンドを奏でながら走行。ホームストレートをはじめとする各ポイントで甲高い排気音を楽しむことができた。

ミスター・ル・マン、寺田陽次郎氏が787Bの走行を担当

マツダ787Bのデモランで素晴らしい走りを披露したのは『ミスター・ル・マン』こと寺田陽次郎氏。ステー・イベントにおいても、ル・マンに29回出場したドライバーならではの秘話でファンを楽しませた。

1947年生まれの寺田氏は、1965年にレースデビュー。1969年にマツダオート東京に入社し、社員ドライバーとして多くのレースに参加しながらマツダスポーツキットの開発にも尽力してきた。

マツダ787Bデモランのドライバーは、『ミスター・ル・マン』こと寺田陽次郎氏。
マツダ787Bデモランのドライバーは、『ミスター・ル・マン』こと寺田陽次郎氏。    平井大介

1972年に東洋工業(現マツダ)の契約ドライバーとなり、市販車の開発にも寄与しつつ、1974年にシグマMC74マツダ(2座席オープンスポーツカー/12Aエンジン)でル・マン24時間レースに初出場。

1979年のRX-7 252iを経て、1982年の自身4回目のル・マン24時間レースでRX-7 254を走らせて初完走を果たした。

以後4回のクラス優勝を含め入賞は多数。2008年まで27年連続ル・マン出場というリザルト、実績を誇り、1995年の総合7位が自己最高位となった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    高桑秀典

    Hidenori Takakuwa

    1971年生まれ。デジタルカメラの性能が著しく向上したことにより、自ら写真まで撮影するようになったが、本業はフリーランスのライター兼エディター。ミニチュアカーと旧車に深い愛情を注いでおり、1974年式アルファ・ロメオGT1600ジュニアを1998年から愛用中(ボディカラーは水色)。2児の父。往年の日産車も大好きなので、長男の名は「国光」
  • 撮影

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事