【ミスター・ル・マンが自らドライブ】ファンの心を繋ぎながら、マツダ787Bは今も走り続ける!

公開 : 2024.11.09 11:45

マツダオート東京がファクトリーチームに発展してル・マン参戦を継続

『寺田陽次郎のル・マントーク』と銘打ったステージイベントは、初日が1991年までの前編、2日目がそれ以降をテーマとした後編として実施され、筆者は初日に往時の逸話を聴いてきた。

「シグマMC74マツダは、どこまでも回るロータリーエンジンと軽量かつコンパクトなボディという組み合わせなので、これなら勝てると思いました。でも、実際には無謀な挑戦だったのです。というのも、ロングボディにしたら遅くって……。ダウンドラフトのウェーバーキャブに丈夫な金網のファンネルを付けたのですが、エンジンに吸い込まれてしまい、オーバーホールしたんですよ。人間以外は全部壊れました」

1970年代から国内外のレースシーンで活躍した歴代マシンがデモランでコースイン。
1970年代から国内外のレースシーンで活躍した歴代マシンがデモランでコースイン。    平井大介

マツダは1981年から毎年ル・マンに参戦したが、マツダオート東京モータースポーツ課が1983年にマツダ傘下のファクトリーチームであるマツダスピードに発展。グループC2、3ローターエンジン時代を経て、4ローターエンジンを搭載するレースカーを開発するに到った。

「本当に大変でしたが、ずっとロータリーエンジンに惚れ込んで、歩みを止めることなく挑戦したことが後年の優勝につながりました。ひとつの物事をやり遂げたいという気持ちが人を動かしました」

そのように話してくれた寺田氏は、「RX-7 254は日本のチームで初完走したマシンなので一番好きです」ともコメントしていた。

なおこの日は、1971年の富士マスターズ250kmレースに参戦したゼブラカラーのRX-3、マツダオート東京カラーを纏ったRX-3、そして、1979年のデイトナ24時間レースで寺田氏が駆った仕様のサバンナRX-7、片山義美仕様のRX-3、MSCC仕様のRX-3、1970年スパ24時間仕様のファミリア・ロータリークーペなども、『歴代レーシングカーデモラン』でロータリーサウンドを響かせた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    高桑秀典

    Hidenori Takakuwa

    1971年生まれ。デジタルカメラの性能が著しく向上したことにより、自ら写真まで撮影するようになったが、本業はフリーランスのライター兼エディター。ミニチュアカーと旧車に深い愛情を注いでおり、1974年式アルファ・ロメオGT1600ジュニアを1998年から愛用中(ボディカラーは水色)。2児の父。往年の日産車も大好きなので、長男の名は「国光」
  • 撮影

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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