喜びに満ちた「カニ目」の兄弟 MGミジェット/オースチン・ヒーレー・スプライト UK版中古車ガイド(1)
公開 : 2024.11.30 17:45
ライトウエイト・スポーツの魅力へ浸れるオースチン・ヒーレー・スプライトと、その兄弟 合計35万台以上を生産 錆びは避けられない エンジン載せ替えは珍しくない 英編集部が魅力を振り返る
フロッグアイやカニ目と呼ばれたスプライト
第二次世界大戦が集結した英国では、スポーツカーの生産が再会。主要メーカーがターゲットに据えたのは、既に経済大国にあったアメリカだった。
一方でグレートブリテン島では、既存部品を流用した安価なキット販売のスポーツカー市場が成長。ロータスやローラといった、ブランド創出に繋がった。
ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)を率いるレナード・ロード氏は、これを逃せない機会だと判断。1951年に発売された、オースチンA30用のドライブトレインを利用したスポーツカーの試作を、技術者のドナルド・ヒーレー氏へ依頼する。
ドナルドは、モーリス・マイナーからラック&ピニオン式のステアリング機構を流用。油圧化したブレーキと、リーフスプリングをリアアクスルへ採用した。
果たして1958年に誕生したのが、フロッグアイやカニ目と呼ばれる、オースチン・ヒーレー・スプライト。軽量で操縦性に長け、多くのサルーンより軽快な走りを披露した。スポーティなロードスター・ボディも、多くの注目を集めるのに望ましい姿といえた。
複数のオプションだけでなく、もう少し余裕が欲しいドライバー向けに、チューニングメニューもオースチン・ヒーレーは用意。1960年には、イタリアのイノチェンティ仕様も登場している。
合計で35万台以上を生産 運転する喜び
1961年にマイナーチェンジ。スプライトはMk2へ進化し、同時に兄弟モデルとしてMGミジェットが登場する。ボディトリムやハードトップが異なり、ミジェットはスプライトの高級仕様という位置付けになった。
フロント側のイメージチェンジを担当したのは、ヒーレー。リア側はMGが担った。別々に進められたが、驚くほど見事に調和が取れている。
エンジンは、当初948ccの直列4気筒、Aシリーズ・ユニット。1962年に1098ccへ、1966年には1275ccへ拡大されている。
英国の自動車産業は淘汰時期にあり、ブランド統廃合の流れを受け、BMCはブリティッシュ・レイランド(BL)へ再編。オースチン・ヒーレー・スプライト Mk4は、オースチン・スプライトへ改称されつつ、1971年で提供は終了した。
MGミジェットは、1974年にトライアンフ・スピットファイア用の1493ccエンジンを獲得。車高が持ち上げられ、ポリウレタン製の大きなバンパーが与えられた。車内空間の窮屈さは否めなかったが、運転の楽しさから支持され、1980年まで生産は続いた。
実用性も悪くなく、スプライトとミジェットは合計35万台以上が売れている。桁外れの能力を備えるわけではないが、状態が良好なら、カーブが連続する公道で爽快な体験を今でも与えてくれる。
「とても活発で、とても楽しい。運転する喜びに満ちている」。当時のAUTOCARはこの2台を定期的に試乗し、絶賛を重ねてきた。