メルクールXR4Ti

ドイツのカルマンがフォード・シエラをベースに改良・生産し、米国ではピントシリーズの2.3Lエンジン「リマ」を搭載して販売されたモデル。その外観は、シエラに見慣れた欧州ならまだしも、米国ではいささか奇抜に見えた。また、「メルクール(Merkur)」というドイツ語のブランド名に関する問題もあり、英語ではうまく発音しにくかった。

販売台数については資料によって異なるが、1985年から1989年のモデルイヤーで5万台以下だったようだ。

メルクールXR4Ti
メルクールXR4Ti

プリムス・クリケット

プリムス・クリケットは、欧州で販売されていたヒルマン・アベンジャーの改良版だ。クライスラーが1967年に英国のルーツ・グループを買収し、当時ヒルマンから販売されていた後輪駆動の小型セダンを、名前を変えて米国に持ち込んだのだ。

1970年、クリケットは米国に導入されたが、国内生産ではなかったこともあり、消費者の反応は冷ややかだった。1971年の販売台数は、ライバルのシボレー・ヴェガやフォード・ピントの10分の1程度にとどまり、わずか2年で廃止されてしまった。

プリムス・クリケット
プリムス・クリケット

ルノー・ドーフィン

ドーフィンは当初、米国での販売で大成功を収め、年間販売台数はあっという間に10万台を超えた(1950年代後半の輸入車としては素晴らしい数字)。しかし、米国特有の走行距離の長さが災いし、製造品質が不十分であることが明らかになってしまう。中古車価格は暴落し、金融機関も新車購入時の分割払いを拒否するようになった。国中で何万台ものドーフィンが使われず、放置されていた。

その結果生じた収入減によりルノーは大きな痛手を負ったが、その後1961年に発売されたルノー4によって回復を果たした。しかし、4が米国に輸入されることはなかった。

ルノー・ドーフィン
ルノー・ドーフィン

ローバー3500

米国で販売された最後のローバー車は、SD1の3.5L V8バージョンである3500だった。米国の消費者は、V8エンジンと後輪駆動を備えた見栄えの良いクルマに多少の興味を示すと期待されたが、最高出力135psというパワー不足、疑わしい製造品質、消極的なマーケティングによって成功を阻まれた。

3500が正式に販売されたのは1980年と1981年のモデルイヤーのみで、1982年にもほんの少数が売れた程度。総販売台数は1000台を超えたが、お世辞にも立派な数字とは言えない。

ローバー3500
ローバー3500

スターリング

3500の失敗から6年後、ローバーはめげることなく、米国の消費者に絶対ウケると期待して、同市場向けのブランド名を「スターリング(Sterling)」に変更した。どうやら、少しは効果があったようだ。

スターリングは、欧州では800シリーズとして知られ、ホンダ・レジェンドとも密接な関係にあるモデルを導入し、1987年には1万4000台を販売するなど有望なスタートを切った。しかし、4年も経つ頃には年間3000台を超えることはなくなり、撤退に追い込まれた。率直に言って品質、信頼性ともに劣悪で、兄弟車であるホンダとの対比が、その残念さをさらに際立たせていた。

スターリング
スターリング

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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