トライアンフ・メイフラワー

メイフラワーは、英国の自動車業界では異端児だった。1950年代初頭のクルマとしては珍しく、ユニボディ構造を採用し、優れた視界と、後のトライアンフTR2スポーツカーに採用されるほど高性能なフロントサスペンションを備えていた。その反面、スピードは著しく遅く、小型の高級車という設計思想もなかなか浸透しなかった。

英国での評判は今ひとつだったが、それでも米国よりははるかに熱狂的と言える。米国での販売台数は資料により異なるが、広く知られている数字は510台である。

トライアンフ・メイフラワー
トライアンフ・メイフラワー

トライアンフ・スタッグ

ジョバンニ・ミケロッティ氏(1921-1980)がデザインした美しいボディと芳醇な3.0L V8エンジンを搭載したスタッグは、米国だけでなく、多くの国で大ヒットするはずだった。そうならなかったのは、エンジンのせいでもある。このエンジンは、近年では信頼性の高いものとなっているが、新車当時は冷却システムやシリンダーが非常にデリケートだった。

スタッグはほぼ1970年代を通して生産されていたが、米国への輸入は1971年から1973年のみで、総販売台数は2871台と、現在も英国に現存する台数の半分以下である。とはいえ、同車のファンは少なくなく、トライアンフ・スタッグ・クラブUSAというファンクラブが30年にわたって存続している。

トライアンフ・スタッグ
トライアンフ・スタッグ

ヴォグゾール・ヴィクター

ヴォグゾールはかなり長い間カナダで存在感を示していたが、米国で販売されたモデルは初代ヴィクターだけで、ポンティアックのディーラーが販売していた。ヴィクターは、人気が高まっていたコンパクトカークラスにおけるGMのライバルとされ、初期の期待は大きかった。

1957年後半の発売から半年で約5万台が売れ、かなり好調だった。しかしその後まもなく、ヴィクターには深刻な耐久性の問題があることが明らかになった。ポンティアック・テンペストやシボレー・コルベアといった強豪のコンパクトカーが導入されたこともあって、1961年通年の販売台数はわずか2万2000台にまで落ち込んだ。

ヴォグゾール・ヴィクター
ヴォグゾール・ヴィクター

フォルクスワーゲン・フェートン

フォルクスワーゲンの最上級セダン、フェートンは多くの点で優れていたが、世界中の市場で苦戦を強いられた。その理由としてよく言われるのは、高級車に「国民車」のエンブレムを付けると、解消できない葛藤が生まれてしまうというものだ。

欧州での販売台数は控えめだったが、米国での販売台数はさらに低調だった。フォルクスワーゲンは、米国の消費者がフェートンに興味がないことを知り、わずか2年で引き揚げてしまった。

フォルクスワーゲン・フェートン
フォルクスワーゲン・フェートン

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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