【四世代に渡る歴史の光と影】刑事ドラマでも大活躍!ソアラとレパードの想い出を振り返る

公開 : 2024.11.19 11:45

実際に二代目ソアラ後期モデルを購入

そして何を隠そう、筆者は20歳代で二代目後期モデル(1988年~)の『3.0GT』を手に入れたのである。残念ながら後に手放したが、今でも中古車で程度のいい最終モデルに出会うと欲しくなってしまう。二代目ではメタルトップの『エアロキャビン』も限定500台で登場。さすがに購入できなかったが、レアで素敵なクルマだった。

三代目ソアラ(1991年~)はデザインを大幅に変更して世に送り出された。最上級モデルの『4.0GTリミテッド』(アクティブサスペンション仕様車)の乗り味には光るモノがあったが、それ以外、とくに『3.0GT』系は走っても印象の薄いクルマになってしまった。ところが後期モデルの『2.5GTツインターボ』はスポーツカーそのもので、運転が愉しかった。本気で煮詰めればいいクルマが完成する一例に思えたものだ。

二代目ソアラに設定されたメタルトップの『エアロキャビン』。500台の限定であった。
二代目ソアラに設定されたメタルトップの『エアロキャビン』。500台の限定であった。    トヨタ

四代目ソアラ(2001年~)は、いきなり全車オープンカーであった。リアシートは大人が乗るには狭く、戸惑ったファンは多かったが、ゆったりした乗り味で良好な舗装路面を走れば悪くないクルマだった。悪路ではランフラットタイヤのせいで乗り心地が悪く、ボディ剛性も足りなく感じたが、後に出る姉妹車の『レクサスSC』はそういう荒さ、弱さはなかった。

ということで、ソアラは初代と二代目に尽きるというのが筆者の見解。ただし、三代目後期型2.5GTツインターボは『これぞソアラ』ではないが、本物のスポーツカーであったことは強調しておきたい。

レパードがどの店舗にも置いていない

二代目レパードは、前期と後期で外観もインテリアも随分とイメージが異なる。『あぶない刑事』シリーズには前期型も後期型も登場するが、筆者が大好きなのは前期型の『アルティマ』で、フロントスタイルもスリットの入ったテールランプも独特のデジタルメーターも、とにかく内外装のデザインがたまらなかった。

ここからは筆者の体験談。大学時代、友人のお父様が某日産ディーラーの社長で、「白いレパード・アルティマが、何らかの事情でキャンセルになって困っている」と聞いた。具体的な価格は書けないが、当時かなりの値引き額を提示された。

『あぶない刑事』のイメージが強い二代目日産レパード。
『あぶない刑事』のイメージが強い二代目日産レパード。    日産

カタログで見た白いアルティマはいかにもカッコ良かった。筆者は当時学生で、もちろんそんな高級車は買えないので父に相談したところ、すんなりと購入しようと話が進んだ。そこでまずはディーラーに行って実車を見てみようと、レパードが展示してある近所のディーラーを探した。

しかし10店舗くらいを巡っただろうか。どの店舗にも置いていない。そこで日産のお客様相談室で調べてもらったら、東京都と神奈川県で展示車がある店舗は1件だけ。しかもその場所が凄く遠い……。そこで、「実車も置いていないクルマは買わない方がいい!」と父の雲行きが怪しくなり、レパードを探しに出た帰り道で、違うクルマをフルオプションで買ってしまうというオチがついてしまった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    木原寛明

    Hiroaki Kihara

    1965年生まれ。玉川大学では体育会ノリの自動車工学研究部に所属し、まだ未舗装だった峠道を走りまくった。最初の愛車(本当は父のもの)は2代目プレリュード(5MT)。次がフルチューンのランサーEXターボ。卒業してレースの世界へと足を踏み入れたものの、フォーミュラまで乗って都合3年で挫折。26歳で自動車雑誌の編集部の門を叩き、紙時代の『AUTOCAR JAPAN』を経て、気が付けばこの業界に30年以上。そろそろオーバーホールが必要なお年頃ですが頑張ります!
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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