【四世代に渡る歴史の光と影】刑事ドラマでも大活躍!ソアラとレパードの想い出を振り返る

公開 : 2024.11.19 11:45

二代目レパードはクルマとして完成度が高かった

筆者の実話のとおり、二代目レパードはデビュー当時から大人気だったわけではない。『あぶない刑事』で話題になり、発売開始から遅れて人気が出たのだ。そもそも二代目レパードは、クルマとして完成度が高かった。なんと言ってもR31/R32型スカイラインなど、名車の開発主管を務めた伊藤修令さんが開発を担当していたのだから。

次は三代目(1992年~)で、車名は『レパードJ.フェリー』となった。これは『インフィニティJ30』の日本仕様で、二代目シーマのきょうだい車ともいえるクルマだ。上級モデルはVH41DE型4.1L V8(270ps)エンジンを搭載していた。ゴージャスなクルマで、残念ながらそこに二代目レパードの面影はなかった。

二代目レパード、初期型のインパネ。そのデザインから絶壁パネルと呼ばれたことも。
二代目レパード、初期型のインパネ。そのデザインから絶壁パネルと呼ばれたことも。    日産

四代目(1996年~)でモデル名称が再びレパードに戻るが、クルマの中身はY33系セドリック/グロリアのグランツーリスモとほぼ同じだった。「売るクルマが欲しい」という販売会社の意見が勝ったようだ。もはやクルマのデキが云々という話ではなかった。そんな四代目は2000年に販売を終了し、レパード20年の歴史に幕を閉じる。

冒頭に『光と影』と書いたが、レパードもソアラも、その多くのモデルは今も筆者の眼に光り輝いているのであった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    木原寛明

    Hiroaki Kihara

    1965年生まれ。玉川大学では体育会ノリの自動車工学研究部に所属し、まだ未舗装だった峠道を走りまくった。最初の愛車(本当は父のもの)は2代目プレリュード(5MT)。次がフルチューンのランサーEXターボ。卒業してレースの世界へと足を踏み入れたものの、フォーミュラまで乗って都合3年で挫折。26歳で自動車雑誌の編集部の門を叩き、紙時代の『AUTOCAR JAPAN』を経て、気が付けばこの業界に30年以上。そろそろオーバーホールが必要なお年頃ですが頑張ります!
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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