【第1回】長尾循の古今東西モデルカーよもやま話:ミニチュアと実車の二刀流趣味~スーパーセブン編

公開 : 2024.11.27 17:05

元モデル・カーズおよびカー・マガジン編集長である長尾循による、古今東西モデルカーにまつわるよもやま話です。前回は連載前のご挨拶ということで、今回からが本格スタート。第1回はミニチュアと実車の二刀流趣味がテーマです。

実車が先かミニカーが先か

クルマを好きになったきっかけというのは人それぞれでしょうが、自分の場合は何がそれだったのかはっきりとした記憶がなく、まぁ物心ついた時にはすでにクルマ好きの子どもだったわけです。

ということは、いわば幼児の純粋な興味の対象としての『クルマ』でありますから、それは恐竜やカブトムシ、ウルトラマンの怪獣なんかと同じ存在で、現実的な必然性、仕事に必要だとか家族でドライブに行きたいとかモータースポーツで活躍したいとか異性にモテたい云々……などの理屈とは一切無縁。絵本代わりに眺めていた『世界の自動車年鑑』を見ているだけで時の経つのを忘れる幼稚園児でありました。

筆者のロータス&ケータハム・セブンのコレクション、その一部。
筆者のロータス&ケータハム・セブンのコレクション、その一部。    長尾循

すると周囲のオトナたちは「この子はクルマが好きらしい」と、ブリキのおもちゃやミニカーを買い与えてくれるようになる。親戚の年上のお兄さんたちは遊び飽きたミニカーをお下がりとしてプレゼントしてくれる。そんな日々が続くうちに、家にはなんとなくクルマのおもちゃやミニチュアモデルが増えてきます。

それにしても自分の手でクルマを運転できるようになるまで、まだ10年以上もあると思うと、それは子どもにとってはめちゃくちゃ遠い未来です。それまでは手元のミニカーが私の愛車でした。

セブンのプラモデルとミニカー今昔

子どもの頃から趣味嗜好の部分はあまり変わっていない(進歩がない?)ので、いまだに自分にとってのクルマは『社会生活で活用するツール』というよりは、『見て楽しい、乗って楽しい妄想玩具』とでも言うべき存在。

一方、実車の方は免許を取って以来ずっとケータハム・スーパーセブンに乗っているのですが、もちろん子どもの頃からのミニチュアモデル趣味も今なお絶賛継続中です。すると自分の手元には愛車と同じセブンのミニカーやプラモデルが自然と増えていく、という理屈です。

1980年代半ばにタミヤからリリースされた名作キット、1/24ロータス・スーパーセブンSr.II(たち)。
1980年代半ばにタミヤからリリースされた名作キット、1/24ロータス・スーパーセブンSr.II(たち)。    長尾循

今でこそロータス/ケータハム・セブンのミニチュアモデルは色々なメーカーからリリースされていますが、意外なことにロータス・セブン時代の1973年以前は、セブンの模型というものはほとんど存在していませんでした。当時の我が国で比較的入手しやすかったセブンのモデルといえば、マッチボックスの3インチ級ミニカーと、ニチモ(日本模型)の1/20プラモデルくらい。ポルシェフェラーリにあたりと比べると、やはりセブンはマイナーな存在だったようです。

その後1980年代になると、セブンの製造、販売権をロータスから引き継いだケータハム・セブンの輸入が日本でも盛んになり、実車の知名度も上がっていきます。そんな中、模型の世界では1980年代半ばに、タミヤから1/24ロータス・スーパーセブンと1/12ケータハム・スーパーセブンBDRのプラモデルが相次いでリリースされ、大きな話題となりました。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    長尾循

    Jun Nagao

    1962年生まれ。企画室ネコ時代を知る最後の世代としてモデル・カーズとカー・マガジンの編集に携わったのち定年退職。子供の頃からの夢「クルマと模型で遊んで暮らす人生」を目指し(既に実践中か?)今なおフリーランスとして仕事に追われる日々。1985年に買ったスーパーセブンにいまだに乗り続けている進歩のない人。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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