小ボディに大エンジン:オースチン・ヒーレー3000 過去と現代が融合:トライアンフTR5 直6の英国車たち(3)

公開 : 2024.12.08 17:45

ブリティッシュ・スポーツと切っても切れない、直列6気筒エンジン 新技術が盛り込まれたアストン マーティンDB5とジャガーXK150 既存技術も巧みに活用 英編集部が傑作6台を乗り比べ

保守的な技術が傾倒された3000の直6

古いブリティッシュ・スポーツの多くが直列6気筒エンジンを搭載した理由の1つは、グレートブリテン島では入手しやすかったから。安価なスポーツカーとするには、大きな予算を割いてエンジンを新たに設計することは難しい。

他の量産モデルから、ドライブトレインが流用されることは珍しくなかった。また、それ以上の気筒数を持つユニットを提供するメーカーも限られた。

オースチン・ヒーレー3000 BJ7(1962〜1963年/英国仕様)
オースチンヒーレー3000 BJ7(1962〜1963年/英国仕様)

オースチンとヒーレーとのコラボレーションは、2.6L直列4気筒エンジンを搭載した、1952年のオースチン・ヒーレー100から。当時、Dシリーズと呼ばれる直6も製造されていたが、元々はトラック用で大きすぎると判断されていた。

その後、オースチンを傘下にするブリティッシュ・モーター社(BMC)は、Cシリーズと呼ばれる6気筒ユニットを開発。これは、オースチン・ヒーレーのスポーツカーへ適したサイズだった。

ライバル関係にあった両社が接近した、1953年頃に開発はスタート。BMC傘下のモーリスやウーズレーで利用していた、2.2Lユニットはバルブが焼き付く悪癖があり、信頼性が求められる1950年代に好適とはいえなかった。

新しいユニットは、スチール製ブロックのロングストローク型。プッシュロッド・ヘッドなど、保守的な技術が傾倒されている。BMCは、ここで冒険しなかった。

小さなボディに大きなエンジン

1956年に、Cシリーズ・エンジンを100に搭載した100/6が登場。生産工場がロンドンの西へ位置するアビンドン・オン・テムズに移り、フロントブレーキがディスクへアップグレードされた3000は、1959年に登場する。

3000は人気を博し、改良を重ねながら1967年まで生産が続いた。今回ご登場願ったライト・ブルーとホワイトの1台は、通称BJ7。ツインキャブレターで131psを発揮する。

オースチン・ヒーレー3000 BJ7(1962〜1963年/英国仕様)
オースチン・ヒーレー3000 BJ7(1962〜1963年/英国仕様)

モデルとしては、初めて巻き上げ式のサイドウインドウを採用。開閉し易いソフトトップを獲得している。

3000は年式が新しくなるほど、ハードコアなロードスターから、コンフォートなスポーツツアラーへ進化していった。モデル末期のBJ8では、ウッドパネルがダッシュボードへ与えられている。

直6エンジンは、低回転域から強力。発進時は小石をボディに跳ね上げないよう、丁寧にクラッチを繋ぐ必要がある。クロームメッキされたシフトレバーは、コクリと気持ち良くゲートへ収まり、ステアリングはダイレクトで扱いやすい。

車高は印象的なほど低く、優れたグリップ力で鋭くコーナーを巡れる。同時に、小さなボディへ大きなエンジンを押し込んだような、ワイルドさも匂わせる。

旋回中にアクセルペダルを踏み込むと、アンダーステア。さらに気張ると、リアが流れ出す。素早く流暢にラインを辿るには、ブレーキを引きずりながら侵入し、アクセル加減を探る必要がある。リズム感と技術が必要になる。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

直6の英国車たちの前後関係

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