【1970年代国産GTカーに思いを馳せて】光岡自動車からM55の市販バージョンが登場!

公開 : 2024.11.22 07:05  更新 : 2024.11.22 11:52

元気な頃の日本の象徴であるGTカーを作りたい

渡部さんはデザイナーに、「次はセダンで行きたい。光岡と同じ時代を生きてきた世代に届けたい。子供の頃に目にして憧れていたクルマたちはどれもアメリカのデザインの流れを汲み、日本のあちらこちらにアメリカ車のオマージュが息づいたクルマ達がいた。あの頃の、夢と希望に満ちあふれた元気な頃の日本の象徴であるGTカーを作りたい」と話したそうだ。

こうして昨年の秋に完成した、M55コンセプトをお披露目。「市販化を熱望する1300件余りの応援メッセージをいただき、とても嬉しい一方、ベース車の安定した調達の不透明さがあり難航」し、企画倒れも覚悟していたようだ。しかし、何とか100台のベース車が確保できたことから今回の販売に繋がった。

圧倒的にSUVが多い中、敢えてセダンで開発。ワクワク感を求めている。
圧倒的にSUVが多い中、敢えてセダンで開発。ワクワク感を求めている。    平井大介

そのエクステリアデザインは光岡自動車ミツオカ事業部開発課デザイナー渡辺清和さん(1960年代生まれ)が手掛けた。開口一番、「ベースのデザインは何なのかをよく聞かれる」と笑いながらコメント。しかし、「これが一番難しい質問」とも。

その理由は、「実際にそのクルマを見ながらデザインしたり、何かを真似ようとしてデザインしたわけでもない。自分が小さい頃いろいろ見てきたクルマの記憶を凝縮してひとつの形にできないかと思いデザインした。なので、このクルマを見る人によってベースは違ってくるだろう。でもそれが正解。あの時(1970年代に)憧れたデザインだなと思ってもらえれば」と語る。

そのポイントは、フロントの丸眼4灯だ。「自分が小さい頃見て格好良いと思ったことがベースになっている」と渡辺さん。リアも黒ベースの中にテールランプを配し、当時の印象をデザインに組み込んだ。そのほかフロントのリップスポイラーやダックテールなど、当時格好良いと思ったモチーフの多くが取り入れられている。ちなみに渡部さんも渡辺さんも子供の頃に憧れたのは初代セリカだったそうだ。

昭和の銀幕スターみたいな、ピリッとした男前

インテリアを担当した光岡自動車ミツオカ事業部商品企画課課長兼デザイナーの青木孝憲さんも、本革のフルレザーシートを採用したうえで、鳩目の加工を行い、当時の雰囲気を再現。「往年のGTカーのようなスパルタンなシートをデザインした」と述べ、同時に「大人のフォーマルなデザインも両立している」と語る。

この背景には、「父親がハコスカに乗っていて、こんなスパルタンなシートだったと記憶している。もちろんマニュアル車なのでその大きな機械の塊を操っている男の格好良さ、親父格好良いなと思った記憶があった」と振り返り、このデザインのベースを説明。

「往年のGTカーのようなスパルタンなシートをデザインした」とデザイナーの青木孝憲さん。
「往年のGTカーのようなスパルタンなシートをデザインした」とデザイナーの青木孝憲さん。    平井大介

また、インパネやドアトリムにディーラーオプションでドライカーボンパネルを用意。「標準は令和の優しい感じの男子から、昭和の銀幕スターみたいな、ピリッとした男前という感じが仕上がっている」とコメント。

1970年代のアメリカ車に憧れ、そのデザインモチーフをふんだんに取り入れた日本のGTカー。それを再び今によみがえらせたのがM55だ。細かく見るとあのクルマのモチーフがと感じられるところがあるかもしれないが、それらを一度渡辺デザイナーの頭の中で整理、まとめられた結果、破綻なくデザインされたのは見事というほかない。郷愁といってしまえばそれまでだが、意外と若い世代にも響くデザインではないだろうか。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    内田俊一

    日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を生かしてデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。長距離試乗も得意であらゆるシーンでの試乗記執筆を心掛けている。クラシックカーの分野も得意で、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員でもある。現在、車検切れのルノー25バカラとルノー10を所有。
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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