ブガッティとベントレーの愛のない結婚? HEツーリッター・スポーツ(1) 100年前に5年保証!

公開 : 2024.12.21 17:45

100年前、他に例がない5年保証を付けて売られたHEツーリッター 驚くほどハンサムなボディ 輸入車に匹敵した価格 年式を感じさせない製造品質と滑らかさ 英編集部が貴重な1台をご紹介

他に例がなかった5年間の新車保証

1924年8月8日、医師のケネス・ベイリー氏が真新しいHEツーリッターを受け取った。5年間という、当時では他に例がない新車保証と一緒に。創立間もない自動車メーカーとして、相当リスキーなサービスだったことは想像に難くない。

それでも自動車黎明期の時代に、優れたスポーツカーが求められていた英国では、他社より目立つ必要があった。HE社の第1号となるモデルは、1919年の11.9hp。ツーリッターは、同社3番目の量産車だった。

HEツーリッター・スポーツ(1922〜1925年/英国仕様)
HEツーリッター・スポーツ(1922〜1925年/英国仕様)

HE社は、第一次世界大戦後に自動車の生産を開始。この保証制度が功を奏したのか、僅か4年という短期間に一定のシェアを獲得している。市民的なウーズレーやオースチンと、上流階級的なベントレーの中間という、ブランドの地位を築くことに成功した。

創業者は、ハーバート・マートン氏。航空機や船舶などを製造した、アームストロング・ホイットワース社で技術者として活躍後、ロンドンにブレイカー・エンジニアリング社を立ち上げた。1914年に、ハーバート・エンジニアリング(HE)社へ改称している。

当初は、バスやトラックなどを製造していたソーニークロフト社向けの、トランスミッションを製造。第一次世界大戦中の1916年には、航空機用エンジンの修理や整備も請け負った。

自動車メーカーとして技術力を劇的に向上

平和が訪れると、英国軍との契約は終了。マートンには、ロンドンの西、キャバーシャム二ある広大な工場と、600名の従業員が残された。そこで工場の管理担当だったHA.エドワーズ氏が、既存のインフラを利用し、自動車メーカーへの事業転換を提案する。

労働力を最大限に活かすため、パワートレインなどの主要な部品は、可能な限り自社で設計・製造することが決まった。当時の英国の自動車メーカーは、アンザニ社やメドウズ社などからエンジンを購入するのが一般的で、相当に野心的な判断といえた。

HEツーリッター・スポーツ(1922〜1925年/英国仕様)
HEツーリッター・スポーツ(1922〜1925年/英国仕様)

1923年までの4年間で、HE社は自動車メーカーとしての技術力を劇的に高めていった。設計に革新的なものはなかったものの、完成度は高く、見た目も美しく、お手頃なベントレーのようにみなされていたらしい。

ツーリッターが搭載したサイドバルブの4気筒は、排気量が1982ccと小さく抑えられ、購入税の優遇を得られた。シリンダーの直径、ボアは72.5mmで、ストロークは120mm。ロングストローク型で、充分なトルクが引き出された。

バルブの直径は太く、ピストンはアルミニウム製。ローラーカムシャフト・フォロワーや、コイル点火などを採用する、先進的なユニットでもあった。

アルミ製のシリンダーヘッドは、外部のリカルド・エンジニアリング社による設計。サイドドラフト・レイアウトで、ゼニス・キャブレターが組み合わされた。多板クラッチを採用した、4速のトランスミッションも独自ユニットだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

HEツーリッター・スポーツの前後関係

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