南半球の悲劇 英国と豪州が生んだ大型FRセダン「レイランドP76」の奇妙な物語

公開 : 2024.12.06 18:05

1970年代に直6またはV8を積んだ上級モデルとして発売されたレイランドP76は、大きな可能性を秘めた1台だったが……。英国とオーストラリアの自動車史における「悲劇」と言うべき同車の生涯を紹介する。

元植民地で作られた大型セダンの話

かつて英国が植民地を保有していた地域では、自動車が作られることが多かった。

英国の自動車メーカーであるブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)は、オーストラリアから南アフリカ、トリニダードからニュージーランドまで、幅広い地域で自動車を生産・販売していた。おそらく、独立を求める元植民地の生意気な態度への罰として。

オーストラリアで販売されたレイランドP76の生涯を紹介する。
オーストラリアで販売されたレイランドP76の生涯を紹介する。

BMC帝国

BMCの南半球での事業は広範囲にわたり、オーストラリア向けの専用モデルを開発するほど好調だった。しかし、その成果はしばしば、同社がどのように市場調査を行っているのか疑問に思わせるものであった。

1950年代後半に登場したモーリス・メジャー(写真)やオースチン・ランサーといった恐ろしい変異体は、ウーズレー1500を奇妙に延長したものである。ボディの長さは変えず、ホイールベースを伸ばすことで全体を大きく見せるという手法が用いられた。

モーリス・メジャー
モーリス・メジャー

ノマド

これらに続いて登場したのが、モーリス1100の突然変異体であるノマド(写真)である。トランスミッションがひどく、走行性能は悪かった。1970年代にはオースチン1800を四角くしたキンバリーとタスマンが登場したが、その品質はひどいもので、次期型を記録的な速さで急いで作らざるを得ないほどだった。

この頃には、BMCは「ブリティッシュ・レイランド(BL)」と社名を変えていたが、根本的に不適切な英国モデルを無理に現地に適応させた浅はかさと、しばしば粗悪な作りによって、その評判は深刻な打撃を受けていた。

ノマド
ノマド

新世界

BMCが出した答えは、オーストラリアのニーズに合うよう完全に新しいクルマを設計するというものだった。それはすなわち、当時オーストラリア人に人気のあったホールデン・キングスウッド、フォード・フェアモント、クライスラー・ヴァリアントとほぼ同じ形の、大型で機械的にシンプルな後輪駆動セダンである。

これらのモデルは頑丈で修理が簡単で、直列6気筒またはV8エンジンを搭載し、ベンチシートタイプの前部座席を備えていることが多かった。そうした要素を組み合わせていった結果、レイランドP76が誕生した。

レイランドP76
レイランドP76

レシピ

P76はこれらすべての要素を備え、流行のウェッジシェイプ・ボディを採用し、1973年に発売された。レイランド・オーストラリアの社内デザイナーであるロマン・ロッドバーグ氏が、かの有名なジョバンニ・ミケロッティ氏の助言を受けながらデザインした。

エンジンは、オースチン・モーリスの横置き2.2Lの拡大版である2.6L直列6気筒エンジン、または元ビュイック3500エンジンを改良したローバーの4.4L V8エンジンから選択できた。

エンジンは2.6L直6と4.4L V8が用意された。
エンジンは2.6L直6と4.4L V8が用意された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ブレンナー

    Richard Bremner

    英国編集部
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事