南半球の悲劇 英国と豪州が生んだ大型FRセダン「レイランドP76」の奇妙な物語

公開 : 2024.12.06 18:05

デザイン

巨大なオーバーハングと44ガロンのドラム缶がすっぽり入るほどのトランクを備え、羊牧場で精力的に働くにはうってつけのクルマだった。P76のニックネームとして、Hairy Lime(毛むくじゃらのライム)、Am Eye Blue(わたしの青い瞳)、Peel Me A Grape(グレープをむいて)、Home On Th’ Orange(オレンジ色の我が家)、Oh Fudge(なんてこと)など、ダジャレのようなものが多く与えられた。

オーストリアのメディアには、P76はかなりよく走り、頑丈で、ライバル車にも負けないと評価された。オーストラリアの雑誌『Wheels』は、1973年のカー・オブ・ザ・イヤーに選んだほどだ。

P76にはダジャレのような愛称が多く付けられた。
P76にはダジャレのような愛称が多く付けられた。

破滅

そして、すべてが水の泡となった。ストライキ、部品不足、未完成の開発プログラム、産業破壊行為の噂などがP76を蝕んだ。BLの一部のライバル企業は、レイランド・オーストラリアが優れたクルマを生産していることを恐れ、部品納入を遅らせるようサプライヤーに圧力をかけたと見られている。

こうして、P76が発表されてからわずか1年4か月後の1974年10月、シドニー工場とともに歴史に幕を閉じた。現地での問題だけでなく、英国で広がっていた親会社BLの問題の犠牲者でもある。P76は約1万8000台が生産され、そのほぼすべてがオーストラリア国内で販売されたが、欧州での販売も検討されていた。

P76のダッシュボード
P76のダッシュボード

P76フォースセブン

P76の早すぎる終焉により、実現するはずだった派生モデルも闇に葬り去さられた。その中には、P76フォースセブン(写真)と呼ばれる興味深いクーペモデルもある。イタリア、米国、英国のデザインテーマを融合させたもので、10台が現存していると考えられている。

P76フォースセブン
P76フォースセブン

ステーションワゴン

さらに珍しいのはステーションワゴンモデルのP76エステートで、オーストリアのアウトバックを走る姿は完璧だったかもしれない。これらは1台しか生産されていない(写真)。

P76エステート
P76エステート

現在

今日、P76はオーストラリアでカルト的な人気を誇り、ニューサウスウェールズ州シドニー西部郊外では活発なオーナーズクラブが毎月会合を開いている。P76は、2013年の北京からパリまでのラリーのクラシックカー部門で優勝し、1965年式のポルシェ911を打ち負かした(写真)。P76は2023年に50回目の誕生日を迎え、オーナーズクラブがラリーを開催した。写真を見る限り、大いに盛り上がったようだ。

ラリーで活躍するP76
ラリーで活躍するP76

失われた勝利

オーストラリアが自動車生産国であった時代は終わった。輸出は割高で輸入品は割安となるような為替事情から、GM、フォードトヨタはいずれも国内の工場を閉鎖した。

P76プロジェクトの失敗は、多国籍企業として主要なプレーヤーであり続けようとしたBLの試みにおける最後の悲劇であった。このクルマは、BLが見た「英国のゼネラルモーターズ」という夢の中に散らばる、1つの小さなかけらである。

レイランドP76とともにBLの夢は潰えた。
レイランドP76とともにBLの夢は潰えた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ブレンナー

    Richard Bremner

    英国編集部
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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