【約100年前のル・マンを制した貴重な1台】ベントレー「オールド・マザー・ガン」が公道イベント初参加!

公開 : 2024.12.03 12:05

生き様を通して発信し続けてきた涌井清春さんだからこそ

涌井さんのコレクションにこのオールド・マザー・ガンが加わったのは2007年初頭のこと。イギリス人にとってこのモデルが国外にあると言うことは、日本人にとって東大寺や法隆寺が海外に移築されているのと同じくらい大変なことであろうと容易に想像がつく。

しかし30年以上の長きにわたり、日本にも古いクルマを心から愛する人間がいるのだと言うことを、その生き様を通して発信し続けてきた涌井清春さんだからこそ、彼の地の人々も「彼だったら心配ない」と思ったのだろう。日本に棲みついて17年ほどになるオールド・マザー・ガンだが、今まではミュージアムの中にいることが多く、今回のような公道走行イベントに参加するのは初めてだと言う。

「出来る限りこういったイベントにも参加してオールド・マザー・ガンのことを広く知らしめたい」と涌井さん。
「出来る限りこういったイベントにも参加してオールド・マザー・ガンのことを広く知らしめたい」と涌井さん。    長尾循

「自分のコレクションの中でも究極、特別な1台ということもあり、今までは畏れ多いとあまり外に連れ出してこなかったのです」と涌井さん。しかし、ヒストリーを持ったクラシックカーは美術作品などと同様、オーナーは未来への伝承のために一時的に預かっているに過ぎないとも考える涌井さんである。

「自分ももう決して若くはないので、これからは出来る限りこういったイベントにも参加してオールド・マザー・ガンのことを広く知らしめ、後世に託す準備も必要だと思いましてね。実際に公道を走ってみるとシャシーの剛性感は高く、トルク感も大きい。サスペンションもハードで、そこはやはりワークスのレーシングマシンですね」と語ることができるのも、長年数多くのW.O.ベントレー作品と付き合ってきたから涌井さんだからこそだ。

こうした経緯で2024年の東京に降り立った1928年ル・マン優勝車、1927年式ベントレー4 1/2オールド・マザー・ガン。当日の走りを見られた者は、まさに眼福であろう。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    長尾循

    Jun Nagao

    1962年生まれ。企画室ネコ時代を知る最後の世代としてモデル・カーズとカー・マガジンの編集に携わったのち定年退職。子供の頃からの夢「クルマと模型で遊んで暮らす人生」を目指し(既に実践中か?)今なおフリーランスとして仕事に追われる日々。1985年に買ったスーパーセブンにいまだに乗り続けている進歩のない人。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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