【モノグラムはM模様!】ブランド初のオープン2シーター「メルセデス・マイバッハSL680」がアジア初お披露目

公開 : 2024.12.02 11:05

メルセデス・マイバッハに、同ブランド初となるオープン2シーターのロードスターモデル『メルセデス・マイバッハSL680』が加わり、11月29日に都内でアジア初お披露目されました。上野和秀がその様子をレポートします。

マイバッハにロードスター登場

これまでプレステージサルーンやSUVとBEVを展開してきたメルセデス・マイバッハに、同ブランド初となるオープン2シーターのロードスターモデル『メルセデス・マイバッハSL680』が加わり、11月29日に都内でアジア初お披露目された。

メルセデス・マイバッハは、究極のエクスクルーシブとテクノロジーの融合を追い求めたブランド。『最高の一流品を生み出す』という信念から始まり、マイバッハの名を冠した初の乗用車『22/70 HP W3』を発表してから100余年の歴史を有する。

ブランド初となるオープン2シーターのロードスターモデル『メルセデス・マイバッハSL680』。
ブランド初となるオープン2シーターのロードスターモデル『メルセデス・マイバッハSL680』。    上野和秀

SLシリーズをベースに高いレベルのドライビングフィールと、細部までこだわったデザインに、上質な素材を組み合わせて開発し、マイバッハ史上最もスポーティなモデルとして誕生したのが、メルセデス・マイバッハSL680だ。

今回アジア地区のローンチが東京で開かれたのは、日本でマイバッハの販売が好調だからである。日本市場は2021年から右肩上がりで登録台数が伸びており、本社から期待されているマーケットということで、マイバッハSL580のローンチが行われたのだ。

日本の販売は前年比で約200台増ペース

アジア・ローンチは、古典芸能であった雅楽を現代音楽と結びつけた雅楽師であり、ヒストリックカーを愛する東儀秀樹氏が演奏する、笙の厳かな音色で幕を開けた。

冒頭、メルセデス・ベンツ日本のゲルティンガー剛社長は、「マイバッハは2015年にSクラスを導入して以来、現在はV型12気筒からBEVまで3車種4モデルをラインアップするほど充実してきました。販売台数も2021年から2023年まで、前年比で約200台増のペースで登録台数を伸ばしております。

左から東儀秀樹氏、ゲルティンガー剛社長、ダニエル・レスコー氏。
左から東儀秀樹氏、ゲルティンガー剛社長、ダニエル・レスコー氏。    上野和秀

また世界初となるメルセデスのハイエンドモデル専売拠点の『スターズ@メルセデス・ベンツ銀座』を開設し、お客様に評価されています。このあとマイバッハの世界観を感じていただけるよう全国4ヵ所に展開予定です」と述べた。

続いて、メルセデス・マイバッハ部門の責任者であるダニエル・レスコー氏が来日。ブランドや車両についての解説が行われた。

「マイバッハは、『To Go Beyond』を目指しています。日本市場については、初のEVモデルであるEQS SUVを高く評価してくれていることを嬉しく感じています。

上海でのマイバッハ・アトリエに続き、世界各地でマイバッハ・ラウンジを開設し、ニューヨークで間もなくオープンします。さらに世界初となるブランドセンターがソウルで建設中です。私たちは現状に満足せず、より魅力的なものとするべく努力しています。

私たちのブランドには100年以上の輝かしい歴史があり、初期のマイバッハにはグランドツーリングモデルだけではなく、オープン2シーターも存在しました。それは当時もっとも豪華であっただけでなく、技術的にも最先端でした。

今回お披露目したマイバッハSL680モノグラムシリーズの開発にあたっては、お客様から2シーターオープントップを強く求められてきたことが背景にあります。開発に際しては、静かでエレガントなドライビング体験を目指しました」と語ってくれた。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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