「ミツビシ愛」は冷めてない! ランサー/ギャランの英国上陸から半世紀(1) 品質と技術の高評価

公開 : 2024.12.22 17:45

三菱の英国上陸50周年を記念したファンミーティング 品質と技術で定評を短期間に確立 市場から撤退もミツビシ愛は冷めてない 魅力の幅を実感する参加車の一部を、英編集部がご紹介

英国上陸から50年 製造品質と技術力で高い評価

半世紀前の1974年、英国人は日本のブランド、三菱と正式に出会った。当初は、BMWの輸入代理店から分離して誕生した、コルト・カー社という名で英国部門がスタート。ランサーとギャランの2台体制で、提供が始まった。

多くの新参メーカーと同じく、市場の関心を掴むため、販売価格は低めに設定された。だが、優れた製造品質が評価され、短期間に高い評価を掴んでいった。数年先の目標販売数は年間1万台だったが、あっさり達成している。

英国で開催された、三菱上陸50周年記念ファンミーティングの様子
英国で開催された、三菱上陸50周年記念ファンミーティングの様子

その頃、技術的な強みといえたのが「サイレントシャフト」エンジン。英国人技術者、フレデリック・ランチェスター氏が開発した、バランサーシャフトの特許を三菱は取得しており、驚くほど滑らかな回転を実現していた。

1980年代には、ランサー・セレステとサッポロ (ギャラン)・クーペが英国へ上陸。コンパクト・ハッチバックのコルト(ミラージュ)も、市場の支持を集めた。1984年にブランド名を変更。日本と同じく、三菱と呼ばれるようになる。

これと前後し、三菱はターボチャージャーを積極的に採用。フルラインターボという、戦略を掲げていた。駆動系も優秀で、高い技術力を持つ自動車メーカーとして、明確なアイデンティティを醸成していった。

2021年に英国市場から撤退 ミツビシ愛は冷めない

触れるべきユニットの1つが、スーパーシフト。4速MTにオーバードライブを組み合わせたもので、実質的に8速MTとして機能した。これは、1970年代後半から前輪駆動モデルに採用されている。

1983年には、四輪駆動のオフローダー、ショーグン(パジェロ)が上陸。堅牢性や信頼性、走破性の高さから、郊外に住む人を中心に多くの支持を集めている。

英国で開催された、三菱上陸50周年記念ファンミーティングの様子
英国で開催された、三菱上陸50周年記念ファンミーティングの様子

同年には、ラリードライバーのアンドリュー・コーワン氏が三菱のワークスチームへ参画。1989年には、ラリーアート・ヨーロッパ・チームによって投入されたギャランVR-4が、世界ラリー選手権のフィンランド選とイギリス選で優勝を果たした。

総合優勝を奪ったのは、1998年のランサー・エボリューションV。スバルインプレッサとの熾烈な競争に、熱くなったという読者は少なくないはず。

「ランエボ」は、24年間にX ファイナルエディションまで10度も進化。ブランドを代表するモデルへ成長したことは、ご存知の通り。

三菱車を目撃するのは日常的なことだが、実は2021年に英国市場から撤退している。販売数が減少し、法規制へ対応する負担が増大したことが、その理由だった。復活の噂はくすぶっているが、実現するだろうか。

とはいえ特徴の濃いモデルが多かったこともあり、英国人のミツビシ愛は冷めていない。グレートブリテン島上陸50周年を記念し、2024年9月末にファンミーティングが開催された。中西部の、グロスターシャー州バドミントンパークを会場に。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ランサー/ギャランの英国上陸から半世紀の前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事